5月12日 島の春、人の絆がまだ生きている
春たけなわ、対馬の山々は鮮やかな新緑に洗われていた。
タブの木の黄色い花、椎の茶色の芽、朋え立つような「山笑う」の季節を迎えた。
車の窓をあけると爽やかな風に、栗の花のツンとした匂いにむせ返る。
私は山道を小一時間、ひたすら久根田舎を目指して走り続けた。
そこで、私の選挙のときにポスター貼りなど手伝ってくれた後援会の方が亡くなったのだ。
昔ながらに自宅での葬儀が執り行われている
私が着いたのは夕方で、すでに火葬も終わって和尚さんの最後の読経が行われていた。
そこにも、部落中の老若男女皆が集まっている。
間もなく、年のころ50,60歳の喪主が紋付羽織袴で挨拶に立った。
格式の高い口上だった。
案内された私の席にも、それぞれにご膳が並べられている。
手作りの豆腐、里も芋、コンニャク、しいたけなどの煮物、ご馳走が山のように盛られている。
部落、総出でお別れのご馳走を作って用意してくれたのだろうか。
皆で故人を悼む心の温かさが、ジワリと伝わってくる。
間もなく、年配のご婦人が、「49の餅です」と言いながらそれぞれに御餅を差し出す。
私もいただいた。
かなり大きい柔らかな搗きたての餅だった。
昔から対馬ではこの餅をいただくと死んだ人がすべての厄をあの世に持ち去ってくれる古い言い伝えがある。
まだ田舎には絆が残っている。
久根田舎には市会議員をしている斎藤久光さんがいる。
斎藤さんのお母さんも90歳で先日亡くなった。
戦後、百姓、山の仕事をしながら女手一つで7人の子供を育てあげた立派な人だったそうだ。
写真を見せていただいたが、実に綺麗な顔をしている。
斎藤さんの次のように語ってくれた。
「最後には食事を摂らなくなったので、病院に連れて行って検査してもらったがどこも悪くなかった。
枯れるようにして、亡くなりました。あれが自然死というものでしょうか。
不思議なことに食事を摂らなくなって10日ほどたって、一段と痩せて細く小さくなりましたが最後の日には顔も肌もつやつやとして透き通って輝き始めたのです。
そして息をしなくなりました」
私はうなずいた。
私の母も五島で今年の3月10日で108歳の誕生日を迎えた。
まだ1人で暮らしている。近所に人が絶えず訪ねてくれるので元気だろうか。
ありがたいことである。
この連休に五島に帰ったが、小さな庭に今年も芍薬の花が見事に咲いていた。いつもは並んで牡丹の花が咲くのだが今年は無理だったようだ。











