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        <title>山田正彦のウィークリーブログ</title>
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        <description>衆議院議員山田正彦のウィークリーブログ</description>
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            <title>無謀にも小説に挑戦</title>
            <description>	なんとも小説を書き始めた。ものになるかどうかわからないが、食糧危機は目前に迫っている。各国が原油の暴騰もあって、食糧の価格が暴騰、国内の食料の安定を図るために、輸出を禁止している。いずれ米国だって、国内の安定を考えれば輸出の規制は、始まるといっていい。そのとき日本はパニックが起こって食糧がスーパーから３日も経たないうちに消えてしまうに違いない。それを考えると、空恐ろしくなってきた。離島は、地方は漁業も、農業も行き着くところまで来た。日本の食糧危機の近未来小説を鉢巻して書き始めた。ものになるかどうかはわからない。私にとって新たな挑戦である。しばらくブログを休ませていただきたい。

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            <title>釜池式教祖と会食</title>
            <description>	面白い。万波先生に薦められて、釜池式の食事療法を始めて早、３か月になろうとしている。参議院議員の中村哲治さんの紹介で、昨夜、釜池豊秋先生と初めてお会いして、食事をご一緒させていただいた。風貌からして変わっている。長髪で、トライアスロン、アイアンマン大会で優勝しただけあって、さすがに無駄な贅肉は一切なく目も鋭い。さしずめ、腰に刀を差すと、一昔前だったら佐々木小次郎並の剣客だったろうか。笑いながらではあるが、「私は医者ではない。今の医者は病気を治せない。私は教祖である。使徒を作って、この療法を広めていきたい・・・・」自信にあふれている。そういわれれば、細面で額の真中で髪を分けているところは、イエスキリストに似てなくもない。レストランでは、糖質カットの食事、ステーキ、魚、大豆粉のパスタなどを上等のワイン、シャンペンをいただきながら、豪華な食事で皆さんとも一緒にゆっくり語り合えることができた。私も釜池式の食事を取り始めて３ヶ月になろうとしている。この間体重を６キロ減らすことに成功した。ズボンも背広もぶかぶかになってきたが、体調はいい。血糖値もヘモグロビンA1c(エーワンシー)を６.０まで下げることができた。何より私が不安だったのは、７年前腎臓移植の手術を受けて、免疫を抑制してきたので肺炎になったり、拒絶反応が生じたりして、腎臓がどこまで元気でいてくれるだろうかといったことだった。腎臓には、これまではたんぱく質はよくないとされている。１０年ほど前は、移植までの一時ではあったが、肉や魚はおろか納豆も豆腐も駄目で、ごはんも米にもたんぱく質があるからとこんにゃく入りの不味い人造米を食べていたときがある。それなのに、釜池式食事療法は肉魚などのたんぱく質と脂質が主体になる。不安もあった。しかし東京女子医大病院でのクレアチニンの検査の値もよくなっている。私なりに納得がいった。いくら糖の値を運動によって、平均値で下げることができても、食後、糖が急に跳ね上がって血管の壁を少しずつ傷つけていくことは避けられない。釜池式だと、基本的に糖そのものを摂取しないので、糖が急上昇することもなく、血管壁も傷つけられることもなく、一方では次々と細胞も新たに代謝されていくので、丈夫になって、クレアチニンの値もわずかだがよくなっている。人類１００万年の歴史で炭水化物、糖を取ってきたのは１万年に過ぎないではないか。要するに、私たちは飽食に過ぎていたので、その根底には少食の勧めがある。夜が更けるにつれて、釜池教祖はますます意気盛んである。

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            <title>福田総理よ、日本人としての品格は持ち合わせてなかったか</title>
            <description>	コウキ、キイロ。・・・・の国会への請願は終わった。１１日の正午、衆議院、参議院の議面前には、傘を手にしたお年寄り、黄色い帽子を冠った年配のご婦人たちが、ぞろぞろと押しかけてきた。「山梨から来ました。・・・・９１歳になります」「なんとしても廃止、廃止してください・・・」とすがるように請願書を手渡す。切実な訴えを聞くと「なんとしても」と廃止に向けての決意をさらに固める。多くの国会議員も議面前に立ってくれた。民主党からは管直人代表代行始め大畠、細川、筒井、円、増子さんなど３０、４０人の衆参議員もそれぞれ請願を受けてくれた。感謝。問責も参議院で可決された。本来ならば、参議院も国会の一翼であり、憲法上、国会での内閣不信任だから、福田総理は解散か総辞職しなければならない。「・・・・・ねじれ国会の犠牲者は私である」と福田総理は薄ら笑いすら浮かべている。明治以来、歴代首相に受け継がれてきた政治家として品格、日本人として崇高な誇りは、微塵もみられない。血を吐くような、悲痛な叫びから、国民に「政局多難な折、もうしばらく私にやらせてほしい」と訴えるならまだしも・・・。すべてが、軽薄に流れて行く世の中をこのまま許してはならない。後期高齢者医療制度の戦いもこれからである。地元に帰ると、１６日にも、再び年金から天引きされて怒りはさらに倍増している。秋の陣に向けて決意を新たに。

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            <title>「コウキ、キイロ。」今、本気で動こう</title>
            <description>	「コウキ、キイロ。・・・・・・・」なんだろう。今朝の朝日新聞に、１ページの大きさでの全面広告を出すことができた。よかった。言いだしっぺの私としては、この2週間、いろいろなことがあったが・・・・・。ともあれよかった。何人かの人が本気になったとき、多くの人が動き出す。後期高齢者医療制度は本気で廃止に動かなければならない。対馬豊玉町の１９２５年生まれの阿比留さんから１通の手紙が忘れられない。新聞チラシの裏紙に、たどたどしい字で、鉛筆で切々と訴えている。「（略）一人暮らしですが・・・・・・・年金２ヶ月で６万９６６円もらっています。介護保険が２ヶ月で１万３千５百です。引かれています。長男扶養になってはいますが、医費を引かれることになったら、どうしたらいいか、毎日畑で考えていますが、誰にもはなしきれません。どうかよい相談をお願いします・・・・」私たちは本気で、今行動を起こさなければならない。会期末まで後１週間、この１週間を後期高齢者制度に反対するキイロの週間にしよう。みんなで帽子、ハンカチ、シャツなんでもいい、黄色のものを身に着けて、意思表示をしよう。６月１１日正午から１時まで衆議院、参議院の議院面談室に押しかけて請願しようではないか。みんなが動けば国会だって動き出す。４０年前、安保闘争で国会を取り囲んだ全共闘の学生たち、今前期高齢者に差しかかっている。老人力を見せつけようではないか。メールを読まれた方はさらに知人にメールを送ってほしい。

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            <title>道は遠い</title>
            <description>	壱岐の郷ノ浦港からジェットホイルで約1時間10分。船から下りてタクシーで福岡空港に向かった。「お客さん、今の政治家はだめですね」と運転手さんが語り始める。どうやら私が政治家とは思っていないらしい。「後期高齢者にしても、年金にしても目先のほころびを繕うことしか考えてませんね。もう少し20年、30年先のことをしっかり考えてほしいですね。国がどういう風になっていくのか、誰も語ってくれませんね。これでは、税金を払っているわれわれは浮かばれませんよ」なるほど、この10年、私たちはその時々のことだけに、総力を傾注して戦ってきた。「お客さん、私は40年間、60歳になったら年金で、家内と二人で悠々と暮らせるとそれだけを夢見て、年金を、それこそ一生懸命払ってきたのですよ。政府は物価が上がったら、年金も上がりますと約束して法律もそうなっていたではありませんか」「国はどんな権限で勝手に約束を破り、法律も変えて、年金もどんどん減らされて、今度は保険料まで年金から天引きされたら、食べていけませんよ」次第に運転手さんのボルテージは上がってくる。「年金で食べていけるどころか、こうしてタクシーの運転手のアルバイトでもしなければ、食べていけないんです。しかも来年70歳になるんですが、もみじマークをつけないと罰されることになっちまって・・・・・・どうしたらいいんでしょうね」としんみりとなってしまった。政治家は何を考えているんでしょうね、こんなことでは高い月給もらっている政治家なんて要りませんよ」曖昧にうなずいていた私も返事できなくなってしまった。「・・・・・実は、私も代議士なんです。政治家として恥ずかしく思っています」と小さな声で答えた。驚いた運転手さん、後ろを振り向いて「頑張ってください」と逆に励まされた。目先のことの繕いではなく、もっと基本的な国の形について、私の中にできているだろうか。道は遠い。

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            <title>すでに差別は始まった。75歳以上はそのほとんどが認知症なのか</title>
            <description>	私の母は明治37年3月10日生まれで満の104歳になる。ありがたいことに、今なお健在で私が生まれた五島市に一人で住んでいる。もちろん、姉とか弟、お手伝いさんに泊まっていただいている。まだぼけていない。朝から新聞を2，3紙、端から端まで読んでいる。先日、五島に帰った折、私の新著「中国に食で潰される日本の行く末」を昼ごろ母に渡した。翌朝、部屋を空けると「読んでしまったよ・・」とにこにこしている。「どうだった」と聞くと「まーまーだね」と返事が返ってきた。思わず私も笑ってしまった。ところで、このところ大騒ぎしている75歳以上のお年寄りと、65歳以上の身体障害者をひとくくりにした後期高齢者医療制度、これは大変な制度である。すでに保健婦さんから聞いた話だが、集団検診の際、カード型の小さな後期高齢者の保険証を持ってきた「特定検診」のお父さんに「お父さんはこの検査は受けなくていいのです」と横に連れて行くと「何だ、機械でも故障したのか」と言われてしまう。「この4月から75歳以上の方には、政府の決まりで、受けられなくなったのです」ととてもいえなくて本当に困っています。終末期の話は先述したが、すでに後期高齢者に対する差別は始まっている。この国会で後期高齢者医療制度については、私が民主党の次の内閣厚生労働大臣として、舛添大臣に1時間半質問して口火を切った。「なぜ75歳以上を分けたのか」と厳しく追求したが、舛添大臣は答えられない。2年前に衆議院を強行採決した際には、ほとんど審議されなかったが、そのときの制度の趣意書に「75歳以上の高齢者はそのほとんどが認知症である」と書かれている。私の母は104歳、終末期に近いが、前述したように、認知症ではない。75歳以上の諸兄よ怒れ。私たちもいずれ75歳を迎える。この国会もこのまま終わるのだろうか。それではあまりにも虚しい。今こそ老人パワーに物を言わせて、国会に請願に押しかけ、何とか廃案にもとこめないものか。行動を起こさなければならない。・・・・・考えて、考えて仲間と相談した。私たち有志で全国紙に「後期高齢者医療制度廃止」の「意見広告」を掲載できないものだろうか。
☆６月７日（土）の朝日新聞首都圏版に「意見広告」を掲載する予定になりました。仲間とともに有志でカンパを一口1万円で募集いたします。■振込先：三菱東京ＵＦＪ銀行　銀座通支店（店番号０２４）普通口座：０００２３０４名義人：怒ってる会　辻恵（オコッテルカイ　ツジメグム）
カンパしてくださった方で新聞広告に名前の記載（個人名）を希望される方は６月３日午後６時までに下記事務所までＦＡＸをお願いいたします。山田正彦事務所ＴＥＬ）０３−３５０８−７６０２　ＦＡＸ）０３−３５１９−５１１６
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            <title>堂崎天主堂献堂100周年お祝いの記念ミサにあずかる</title>
            <description>	昨夜来の風雨は嘘のようにやんで、青空が一面に広がり、さわやかな皐月の風が優しく頬を撫でて行く。五島、堂崎天主堂献堂100周年の記念ミサが、岬の洲にしつらえられた野外ステージで、島内から集まった1200人ほどの信者が集まって執り行われた。湧き水のようにすき通った渚から、ときおりザザー、ザザーと潮騒が響いてくる中で、高見大司教の福音の説話、オルガンと聖歌の歌声が溶け合って、参加したすべての人を至福の境地に引き入れてくれた。16世紀からの隠れキリシタンの哀しい歴史から、明治初期フランス人宣教師マルマン、ペルーの二人の神父が、島民信者とともに、フランスから赤レンガ、ステンドグラスの一つ一つを輸入して造った見事な教会である。長崎の教会群のひとつとして世界遺産の登録を目指している教会でもある。当時、マルマン神父は孤児院も創り、今でも奥浦慈恵院として続いている。20年前、私が慈恵院を訪れたとき、当時の院長さん、齢は９０を超えていたであろうと思われるものの、かくしゃくとして「初めのころ、私たちもドンザ（五島で古くから伝わる綿入れ風の野良着）着て、芋を作り、私たちはいもを食べて、子供たちに麦ご飯をなんとかたべさせていましたよ。今は国から費用をいただけてありがたいものです」と話された。私は痛く感動したのを覚えている。この奥浦教会からは、戦後中村長八郎神父も57歳でブラジルに渡り、かの地で17年間宣教にあたり亡くなっている。小学校時代、私の同級生も何人か開拓農民としてブラジルに家族で渡ったが、その後の消息を聞くことはない。中村神父様にずいぶんとお世話になったのだろうか。献身的な奉仕、言葉ではそう言えても、なかなか行えるものではない。・・・・野外ミサは続く。沖合いに大漁旗を満載した漁船が、島の浦々から集まり、一列に並んでお祝いをしている。

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            <title>ルパングから帰還した小野田さんの背筋の通った人生</title>
            <description>	考えさせられた。&amp;nbsp;連休に何気なく見ておいたＢＳ放送での元ルパング島からの帰還兵小野田寛郎さんのことである。
	もう３０年前になるがテレビや新聞でも大きく取り上げられていた。牧場を開くためにブラジルに渡ったと新聞で小さな記事を読んだきりで、そのまま私の記憶から消えていた。８３歳になった小野田さんの、品格のある顔立ちに、もの柔らかな語り口はテレビの前の私を釘付けにした。小野田さんが旧陸軍中野学校を経て、１９４４年敗色濃いフィリピン戦線、ルパング島に配属され、その任務は再び日本軍が反攻してくるまで、現地でゲリラ戦を展開することだったのだ。「敵に所在場所を悟れてもいけない、かといって日本軍のゲリラ部隊としてその存在を敵に知らせてひきつけておく必要がある」小野田さんは３人一組でジャングルの奥深く入った。それから３０年、２００回ものフィリピン政府の討伐軍の攻撃を受けて、すさまじい死闘を繰り広げていったものと思われる。一方、生きていくために水、食料としてヤシやバナナ、時には村の住民の牛もいただいた。「夜、ジャングルの中で横に寝ていると、蟻が耳の中に入ってきて鼓膜を破ってしまう。耳に栓をすればいいと思うのですが、いつ何時敵に襲われるかもしれないので、それもできない」と小野田さんの話を聞いていると「生きられるか、死ぬか」の戦いがひしと伝わってくる。戦友の小塚さんも、もう一人の方も、戦いの中で亡くしてしまった。５３歳のとき、鈴木青年との出会いで、３０年ぶりに日本に帰還した。当時の記者会見のビデオも考えさせられる。「楽しかったことは・・」きりっとした緊張した面立ちが、一瞬曇って、しばらくして口を開いた。「何もありませんでした」帰還して小野田さんは日本に１年間しかいなかった。「これも言ってはいけない・・・」などと制約されて小野田さんは悔しかったに違いない。見舞金をすべて靖国神社に寄付してブラジルに渡った。友人から借りたお金で牧場を開いた。私も若いころ五島で牧場を開き、牛を350頭ほど飼って大変な目にあう経験をしたが、小野田さんも慣れないブラジルでさんざん苦労したらしい。それから30年、今では牧場も立派に成功している。83歳になって、なお背筋のすっと伸びた姿勢のままで牛に一頭づつ「焼印」入れていくさまは素晴らしい。小野田さんは日本人として、まさに背筋のピンと通った人生を歩いている。私もこれから背筋を伸ばして歩いていかなければならない。
&amp;nbsp;
（※画像の出典はhttp://www.bgf.or.jp/andly/content/080116r.htmlより）

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            <title>ガソリン再値上げは残念でならない。</title>
            <description>	「ガソリンがいったん下がったら、自民党もいくらなんでも国民の意向を無視して再値上げできないでしょう」「山田君、そんな甘いもんじゃない。道路特別会計は、７兆円ものお金を国会の審議も採決もなしに、官僚と自民党の道路族がどのようにでも勝手に使える金だ。土建会社を通じて自民党代議士に政治献金として戻ってくる、大事な資金源だよ。それにヤクザも絡んだりしたブラックボックスだ。見ていてごらん。山口選挙区で負けようが、なりふり構わず３分の２の再議決してくるよ」小沢一郎は言い切った。&amp;nbsp;その通りになった。残念だ。このところ、バターもパンもあらゆるものが８％から１０％あがっている。ことに壱岐対馬、五島などは、ただでさえ諸物価が本土より５％は高い。地方にとっては、ガソリンの価格は生活そのものに大変な影響を与えることになる。すでに壱岐対馬、五島ではガソリン価格が２００円を越えたと聞いている。離島では、ガソリンは通勤に買い物、子供を保育園学校に送るにしてもすべてに必要であり、生活そのものである。それに、高齢者が病院に通うとしても、バス代だけで片道１５００円から２０００円はかかる。バスの便が１日２便か３便となれば、どうしても車に頼らざるを得ない。離島にとって、ガソリンが１リットル２００円を超えることは「死活」問題だといって言い過ぎではない。胸が痛む。参議院で多数となった私達にとってガソリンを下げる好機到来、何とか元に戻すことができた。ところが３１日、さらにもう１０年間、暫定税率を続ける２兆６０００億円の増税法案が衆議院の３分の２以上の多数決による、特例措置で通ってしまった。なんとしても阻止したい。身体を張っても阻止したい。小泉総理時代の郵政民営化の解散、総選挙で小泉チルドレンが８０人も誕生して、衆議院は与党の圧倒的多数。議長を取り囲んでの物理的抵抗も虚しい。身体を張ってでも、必死の思いの抵抗もそこまでだった。「何とか下げることができたのに・・・」無念な思いがこみ上げてくる。

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            <title>ＡＬＳ患者にとっての後期高齢者医療保険制度は</title>
            <description>	「呼吸器を付けたら、家族の方は一晩中眠れませんよ」「胃に穴を開けて栄養を補給するとしたら、家族の負担は大変ですよ、ただ生きているだけで、家族は家も屋敷もなくすことになりますよ」医師から、そういわれるとＡＬＳの患者の家族は迷ってしまう。「そのときから家族間の戦いがはじまるのです・・・・・」４月から施行された後期高齢者医療保険制度は、医師に「終末期相談支援料」を診療報酬として支払うことになっている。「終末期相談支援料」とはいかなるものか、ＡＬＳ患者の会の皆さんから貴重な意見を聞くことができた。会長の高橋操さんは２３年間闘病生活を送っている。手足はおろか口の筋肉も動かず、目の動きだけで私たちに語りかける。付き添いの方が早口で「カキクケコ、サシスセソ・・・・・」と高橋さんに語りかけて、私たちの方に向きなおり、通訳してくれる。「ＡＬＳ患者になると生きていける県と生きていけない県があるのです」「どういうことですか」「先ほどのように、医師から言われると、家族としては呼吸器をはずすしかなくなるのです」「山田先生、今回の終末期相談支援料が医師に支払いされるのは、まさに厚生労働省が、組織的に仕組んだものです・・・・」なるほどと思った。ＡＬＳといえば徳州会病院の理事長徳田虎雄先生もそうなのだが、先生は呼吸器をつけたまま、ベッドに寝たままで、毎朝全国の病院、ブルガリアのソフィア病院の来院患者、入院数など必ず目を通して細かい指示を与えている。寝たきりのままで次々に病院を新設している。考えさせられる。今回の高齢者医療保険制度は７５歳以上の高齢者１３００万人をひとくくりにして、それぞれに平均６０００円ほどの医療保険を新たに負担させる。それだけではない。月に３万円か４万円しか年金をもらっていないお年寄りからも年金の天引きが始まっている。今年は「選択制」にしたものの、来年総選挙が終わったら、それぞれの人が「かかりつけ医」を決めなければならない。これからは骨折しても、病気の場合は必ず先ず「かかりつけ医」に行って紹介を受けなければ病院にかかれなくなる。それだけではない。通院治療は注射と薬代を除いて一人６０００円までで打ち切られる。たとえば糖尿病患者でインスリンの自己注射している人は、医師の管理指導料が６０００円を超えるので、医師がボランティアでなければできなくなる。数えれば、きりがなく、まさに「姥捨て山」の制度だといえる。情けない。　

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