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2012年5月14日(月曜日)

5月12日 島の春、人の絆がまだ生きている

春たけなわ、対馬の山々は鮮やかな新緑に洗われていた。
タブの木の黄色い花、椎の茶色の芽、朋え立つような「山笑う」の季節を迎えた。
車の窓をあけると爽やかな風に、栗の花のツンとした匂いにむせ返る。
私は山道を小一時間、ひたすら久根田舎を目指して走り続けた。
そこで、私の選挙のときにポスター貼りなど手伝ってくれた後援会の方が亡くなったのだ。

昔ながらに自宅での葬儀が執り行われている
私が着いたのは夕方で、すでに火葬も終わって和尚さんの最後の読経が行われていた。
そこにも、部落中の老若男女皆が集まっている。
間もなく、年のころ50,60歳の喪主が紋付羽織袴で挨拶に立った。
格式の高い口上だった。
案内された私の席にも、それぞれにご膳が並べられている。
手作りの豆腐、里も芋、コンニャク、しいたけなどの煮物、ご馳走が山のように盛られている。
部落、総出でお別れのご馳走を作って用意してくれたのだろうか。
皆で故人を悼む心の温かさが、ジワリと伝わってくる。

間もなく、年配のご婦人が、「49の餅です」と言いながらそれぞれに御餅を差し出す。
私もいただいた。
かなり大きい柔らかな搗きたての餅だった。
昔から対馬ではこの餅をいただくと死んだ人がすべての厄をあの世に持ち去ってくれる古い言い伝えがある。
まだ田舎には絆が残っている。

久根田舎には市会議員をしている斎藤久光さんがいる。
斎藤さんのお母さんも90歳で先日亡くなった。
戦後、百姓、山の仕事をしながら女手一つで7人の子供を育てあげた立派な人だったそうだ。
写真を見せていただいたが、実に綺麗な顔をしている。
斎藤さんの次のように語ってくれた。
「最後には食事を摂らなくなったので、病院に連れて行って検査してもらったがどこも悪くなかった。
枯れるようにして、亡くなりました。あれが自然死というものでしょうか。
不思議なことに食事を摂らなくなって10日ほどたって、一段と痩せて細く小さくなりましたが最後の日には顔も肌もつやつやとして透き通って輝き始めたのです。
そして息をしなくなりました」
私はうなずいた。

私の母も五島で今年の3月10日で108歳の誕生日を迎えた。
まだ1人で暮らしている。近所に人が絶えず訪ねてくれるので元気だろうか。
ありがたいことである。
この連休に五島に帰ったが、小さな庭に今年も芍薬の花が見事に咲いていた。いつもは並んで牡丹の花が咲くのだが今年は無理だったようだ。

 


2012年5月7日(月曜日)

5月7日 野田総理が連休中にTPP交渉参加を表明せずにほっとする

ほっとした。
昨年の11月、APEC日米首脳会談を前に野田総理が記者会見をした。
そのときにも私がそのようにコメントしたとして、ネット上で随分と批判された。
今回、民主王が政権交代して初めての日米首脳会談が行われるとあって私は緊張した。
一部の新聞では今回の会談で、野田総理がTPPの交渉に参加表明することがまことしやかに報道されていた。
それに追い討ちをかけるように、民主党の包括経済連携PTの桜井座長が2週間前に訪米した際に国務省のキャンベル次官補は次のように語っている。
「今回の日米首脳会談ではTPPについて最大の関心を払っている」と。

野田総理の訪米が4月29日と決まった。
私は動きだした。
TPPを慎重会に考える会の緊急役員会を開いて、訪米時での総理のTPP交渉参加表明に反対する超党派の院内での議員集会を4月24日に催すことを決定した。
それからが大変だった。
自民党の加藤紘一議員や森山裕議員、公明党の石田祝稔議員、共産党の紙智子議員、社民党の重野安正幹事長や阿部知子政審会長、新党きづなの内山晃代表や斎藤やすのり議員、国民新党の下地幹郎代表代行、新党大地・真民主の鈴木宗男代表や松木謙公代表代行、たちあがれ日本の平沼赳夫代表、新党改革の荒井広幸代表、新党日本の田中康夫代表など  国会11会派の議員に加え亀井静香議員や亀井亜紀子議員にも呼びかけ人になっていただきそれぞれに議員会館内をお願いに回った。

それに、25日には日比谷野音を借りて、TPP反対1万人のキャンドル集会を開くことにした。
短期間で1万人の動員は容易でない。
私は市民団体、NPO法人などに呼びかけて、議員会館の318号室に集まっていただき何度も打ち合わせを繰り返した。沖縄にいる喜納昌吉にも電話して急遽25日に東京に来てもらい唄っていただくことにした。
とうとう、私が実行委員長にされてしまった。
私は日本医師会、歯科医師会、薬剤師会、全建総連、農業団体、畜産関係団体を訪ねては動員をお願いして回った。
なんとかTPP交渉参加表明を阻止しなければならない。

当日、急な呼びかけにもかかわらず、衆議院第一議員会館多目的ホールに衆参議員が次々に集まってくれる。
なんと本人出席で187名、秘書の代理出席もあわせて260名も集まって大会議室は満杯、異様な熱気に包まれた。
鳩山元総理が民主党を代表して挨拶、自民党からは加藤紘一議員、公明党からは石田祝稔議員、共産党からは志位和夫代表、社民党は福島みずほ代表と党首クラスの議員がそれぞれに「野田総理が訪米時にTPP交渉参加を表明することに反対」する旨を訴えた。
皆で反対の決議をそれぞれに署名していただいた。
私は感動した。
自民党の長老議員が私の耳元でそっとささやいてくれた。
「山田さん、これだけの国会内の会派が一同に集まって一つの決議をしたことは今までになかったことです」

嬉しいことに、本人も、代理も出席できずに決議の趣旨に賛同してくれた人だけで324   名に及んだ。
当日の午後五時、ぞろぞろと官邸に押しかけて官房長官に「決議文」と3センチはあろうかと思われる署名の冊子を渡して直談判した。
官房長官も「・・・・訪米時には交渉参加表明はしません」とはっきり言ってくれた。
ほっとした。
前回のAPECのときと再び先送り、延長戦に持ち込むことができたのだ。
それでも5月の18日〜19日とG8サミット、6月にも米国オバマ大統領との会談が予定されている。

翌日、25日。
予定通りに1万人のキャンドル集会は開かれた。
続々と日比谷野音に人が集まってくる。雨が降りそうになってくる。
5時半開会する。5000人は集まったろうか。
ついに雨が降り始めた。激しい雨だ。
私も簡易のレインコートを被ったが、それでもズボンがビショ濡れになる。たまらなくなって帰る人も続々出てくる。小降りになった。
また会場には人が集まってくる。会場も鈴木宣弘教授の激しい演説など歌とトークをまじえながら熱気を帯びてくる。
最後に喜納昌吉が「花」の歌で締めくくった。

それからキャンドルを手にして銀座まで、長い行列がデモ行進を行った。
こうして、日本で始めてのキャンドル集会、デモ繰り広げられた。

 


2012年4月24日(火曜日)

4月20日 花はどこへ行った、民主党はどこへ行った

夜、眠れないままにBSのチャンネルを回していたら、懐かしい歌声が入ってきた。

野に咲く花はどこへ行く
野に咲く花は清らか
野に咲く花は清らか
野に咲く花は、少女の胸に
そっとやさしく、抱かれる

この歌は、あのベトナム戦争時代に、米兵の間で歌われたフォークソング、優しい単調なリズムの歌だ。反戦歌としては、最も有名で広く世界で歌われてきた。
「花はどこへ行った」の歌のルーツを映像で追っている。
私の目は釘付けになった。

この歌は1955年に米国でのフォークシンガーの元祖と言われてきたピート・シーガーが作詞、作曲したものだ。今ではピート・シーガーも84歳、それでも元気で日本人の妻と米国のカントリー(田舎)に住んでいる。森の中で斧をふるってマキを割っている姿が映し出された。
綺麗な顔だ。
間もなくギターを片手に唄いだした。
なんとも素晴らしい。

ピート・シーガーの歌はロシアのノーベル文学賞をいただいた文豪ミハイルショーロホフの大作、小説「静かなるドン」の中に出てくる詩の一節にヒントを得て作られたものだった。

私も昔、読んだ記憶があるが、大河ドン川のほとりでの少女とコサック兵との恋物語だったと思うがすっかり忘れていた。
その詩の一節はロシアでもコサック地方に古くから伝わる子守唄を紹介していたのだ。

葦の葉はどこへ行った
少女たちが刈り取った
少女たちはどこへ行った?
少女たちは嫁いで行った
どんな男に嫁いで行った?
ドン川のコサックに
そのコサックたちはどこへ行った?
戦争へ行った

映像では、ロシアの毛糸で編んだ赤い帽子を被った白いエプロンを付けたお婆さんがその歌詞の子守唄をたんたんと歌っていた。
メロディもどこか哀調を帯びているのは子守唄だからだろうか。

このピート・シンガーの歌が広く世に知られるようになったのは、45年も前のベトナム戦争のときだった。ことに「テト攻勢」のときにベトナムで米兵たちが肩を組んで涙ぐんで歌っていたのは記憶に新しい。
そうか、この「花はどこへ行った」の歌はもともとはロシアの古い子守唄だったのだ。
私には妙に納得がいった。

テレビではさらに往年の大女優マレーネ、デートリッヒが晩年祖国ベルリンに帰ってドイツ語で、「花はどこへ行った」を唄い続ける姿が映し出された。
美しい。
戦前ナチスと闘い祖国ドイツを離れてアメリカにわたり、非国民と言われながらも連合軍兵士を慰問して回った。マレーネ・テートリッヒが深い悲しみをたたえて、たんたんと唄い続ける姿は力強く私に訴えてくる。

野の花はどこへ行った
娘たちが摘んだ
(略)
兵士たちは戦争へ行った
今では墓に眠っている
墓には野の花がそっと咲いている

今このときでもアフガニスタン、シリアでは悲惨な戦争は続いている。
イランでも核開発を巡って新たなイスラエル、米国との戦争の勃発が現実味を帯びて噂されている。

番組が終わって、私はどうしたことか、とどめなく涙が溢れてきた。
そして、久しぶりに私の心は洗われるようなやすらかな気持ちになった。

なかなか眠れない。
私も国民に選ばれた政治家として世の中に対して責任がある。
「TPP、消費増税、原発再稼動・・・」などと当面の数多い課題を負わされている。

ついにメモを出して書き留めた。

花(民主党)はどこへ行った?
心ないあの人達に摘まれてしまった
その花はどうなってしまったの?
霞ヶ関の人達に弄ばれたの
ワシントンDCへの花束になった

その花たちはどうなってしまった?
水もあげられず枯れてしまった
それでも種は残っていたの
いつかかならず花を咲かせるために
花(民主党)は再び咲いて、実を結んだ

翌日、私が事務所でこの話をすると皆にゲラゲラ笑われた


2012年4月23日(月曜日)

4月17日  かけがえのない、私の友が亡くなった。

淋しいものである。だんだんと友達の訃報を聞くような年頃になった。
先日、島原半島の獣医師八木高人さんが亡くなった。
私の20代の後半から40代まで遊びまわった仲間だ。元気だとばかり思い込んでいただけにショックだった。
病気だと分っていたら、見舞いにいっていろいろと語りたかった。
八木さんも病床で「最後に山田さんに会いたい」と言っていたそうだ。
残念だった。
お葬式に行った。数年ぶりに対面したが、長い闘病で顔も細くなって、やつれて見えたがやすらかな寝顔だった。
私が弔辞を読んだ。

     弔辞

高人さん。お疲れさまでした。
ひところ、トラクターから落ちて重症に陥ったと聞いて驚きましたが、酸素ボンベを引きながら、例のにこやかな笑顔で「山田さん元気だよ」と語ったときには、さすがに不死身の高人さんだとほっとしました。
元気だとばかり思い込んでいたのに、今度ばかりは訃報を聞いて驚きました。
いろいろなことが走馬灯のように思い出されます。
高人さんがフランスからシャロレーの種牛ゴードンをつれてきて口之津で「白浜シャロレー牧場を開いたとき、私はまだ司法修習生でしたが始めてお逢いして意気投合して朝まで飲み明かしました。
それから私も高人さんに習って、五島で「鬼岳牧場」開いたのです。
それからがお互い大変でした。
私も何かあると口之津に行っては、泊まって二人で飲み明かしたのです。
その頃が一番楽しい頃でした。
優しいお母様と明るい奥様がいて、ふきのとうの天麩羅など次々に美味しい家庭料理を食べさせていただきました。
夕暮れには、銃を担いで無許可なのに鴨うちにでかけ、ミカン畑に隠されていた密造酒を汲んできては飲んだものです。
本当にいろんなことがあり、私は牛だけでなく豚も飼って肉屋、牛丼屋まで始めて散々失敗したのです。
そのときに300万円出資してもらったのに、いまだに返していません。
貴方も石焼の焼肉屋をはじめ、日本一の鹿牧場をやり遂げました。

私は貴方の紹介で、今は亡き田口長次郎先生にお逢いして政治家への道を歩き始めたのです。そのときもあなたが一緒に島原半島をずっと連れ歩いてくれたのです。
昨日のように思い出されます。
そうして、高人さん、私は農水大臣にまで貴方のお陰でなれたのです。
有難うございました。

貴方もとうとう、優しい奥さん、立派な子供たちに見守られて、最後の日を迎えられたのです。
もう逢えないと思うと残念ですが、どうぞ安らかにお眠りください。
さようなら。

 

胸が詰まった。


2012年2月29日(水曜日)

原発の再稼動を論議する前に、使用済燃料棒を安全なところに

先週、民主党の京野公子議員の応援で秋田県の湯沢市にいた。
歴史的な大寒波で、2〜3メートルの雪に埋もれている。どこの家にも屋根にはしごがかけられていて、時折雪かきに励んでいる姿が見られる。
高齢者で雪かきができずに数十トンの雪の重みに家が押しつぶされたら大変だから、業者に雪かきを頼むと1回で10万円はかかると言う。
さすがに、雪国は大変だ。

講演の間を縫って雪に埋まっている山奥に案内してもらった。ここから先は岩手県との県境になる峡谷にわけ入った。橋から見下ろすと雪が舞いあがってくる。
絶壁の瀧も張り付いたままで、凍っている。真下にある深い谷も雪に埋まっていて、一筋の細い川の流れが見える。
すさまじい厳寒の極致だ。
耳を澄ますと、ちっ、ちっと小鳥たちが囀りあっている澄み切った鳴き声が響いてくる。
・・・・・ひとときの楽園を垣間見た気がした。

ここから先が岩手県、宮城県につながっている。
こうして、たまに眺める雪は綺麗だけど、この先の目に見えない福島原発の放射線の被害は依然として厳しいものが残されている。
この雪の中でまだ11万人の人が避難生活を続けているのだ。
除染もなかなか進まない。

私が大変心配していることがある。
野田総理は原発の再稼動を原子力規制庁が発足する4月前にも判断する意欲を示したと新聞は報道している。
大飯原発のストレステストの中間報告も読ませていただいたが、さまざまな未解決の問題も多く、ここで再稼動を認められる状況ではない。
それよりも大事なのは、そのまま放置されている使用済燃料棒だ。
福島の原発事故で明らかにされたように、炉は停止中ではあったとしても、4号炉の使用済燃料棒1331本は地震で壊れかけた建屋の4階プールに残されて核爆発の寸前だった。
米軍は当初からこのことを一番怖れていた。
今では建屋もいくらか補強されたとはいえ、直下型の関東大地震が来れば、寸時に建屋もろとも崩れ落ちて水がなくなり大爆発を起こしてしまうのでは。
私は地震が来るたびにこのことが心配になる。
福島の4号炉も停止中であったが一番心配されていたのだ。
それに、全国に原発58基のうち2基を除いては定期検査で止まってしまったといえ、それぞれの原子力発電所の建屋のプールに1000本から2000本の使用済燃料棒ガそのまま水で冷やされ続けている。
ちなみに、ドイツではプール式の水による冷却は危険だとして禁止されている。
恐ろしい話である。
昨年の大震災3.11から頻繁に地震が発生しているが、すでに震度3以上の地震が1万3000回を越えて発生している。
東大の地震研究所は4年以内に70%の確率で関東地方に震度7を越える大地震が発生するという予測を発表した。
関東だけでない。数年前から戻り現象が始まっている東南海の大地震もいつ起こってもおかしくない。
そうなれば、浜岡原発はすぐにでも、大変なことになりかねない。同様に北海道も、九州も危ないのだ。

知っているだろうか。秋田県のすぐ隣、青森県には六ヶ所村に使用済み核燃料の中間処理施設がある。今頃はおそらくそこも雪に埋もれているだろうが、そこもかねてから危険性を指摘されてきた。
六ヶ所村の中間貯蔵施設は、ほぼ満杯の状態で約3000トンの使用済み燃料棒と超高濃度の放射能廃液240立方メートルがタンクの中で貯蔵されている。
すでにタンクも老朽化していて、震度7クラスの大地震が北海道・青森沖で生じたら、タンクから直ちに大変な量のセシウム、プルトニウムなどが流れ出してしまう。
この超高濃度放射能廃液のガラス固化作業を一刻も早く始めなければならない。
容易に悲惨な状態が予測される。
ところが残念なことに、日本ではこれらのガラス固化作業は一向に進んでいない。

今急がれるのは、全国各地の原発基地にそのままプールに保管されている使用済燃料棒を、直ちに乾式の保管に入れ替えてしまうことだ。
事故のあった福島第一原発でもモデル的に乾式の保管もなされていた。
実は報道されていないが、その乾式保管の燃料棒は、あれだけの洪水、地震に見舞われても大丈夫だった。

後日、写真も見せていただいたが、大きなステンレス製らしい筒に入っていて横倒しになっていた。それ以来乾式の保管に大変興味を持った。
エネシフでの勉強会で、私は米国の物理学者で核拡散の専門家フランク・フォンヒッペルさんとゴードン・トンプソンさんにお聞きした。
「乾式の保管とはどうすればできるのですか」
「日本の場合はプールで使用済燃料棒を冷却して5年もすれば、取り出して乾式で保管できるのでそのほうが安全である」と話してくれた。
そうであれば、全国各地にある原発基地の5年を経過した使用済燃料棒を早く集めて、どこか一箇所で乾式の保管したほうが、危ういプールによる水の保管よりはるかに安全ではないだろうか。

六ヶ所村の中間貯蔵施設はすでに満杯で、新たな燃料棒を保管する余裕はない。
新たな中間貯蔵施設を探すにしても、福島原発の事故が生じた現在では、どこも受け入れてくれる所はないだろう。
国民は福島の事故を見て身にしみてその怖さを感じている。
今、全国にある58基の原子力発電所はそれぞれに広大な敷地を保有している。
そこに最大震度にも耐えることのできる建屋を建築して、最終処理施設ができるまでの間、自らの原子炉で生じた使用済み燃料棒だけでも乾式で保管を始めるべきではないだろうか。
原子力発電所から50、60キロ圏の住民はいつ不測の事態が生ずるか、皆が内心不安に思っている。
これだけなら、住民もこれまでのプールによる冷却よりも安心できるので同意を得られやすい。
「大地震と津波災害に強い使用済燃料棒の乾式保管施設をそれぞれの原子力発電所内に新たに作るとしたら、どれくらいのコストがかかるのでしょうか」
私はフランク・フォンヒッペルさんにお聞きした。
「2兆円もあればできるはずです。しかも狭い場所でOKです」

それなら、各電力会社が積み立ててきた3兆円の原子力環境整備促進・資金管理センター    の再処理積立金がそのまま残っているではないか。
それを取り崩して、一刻も早く使用済燃料棒の乾式保管施設を作ることが先決である。
原発の再稼動を巡る議論の前に、やるべきことがある。
例年にない大雪の中、北陸、東北、北海道の原子力発電所では、使用済燃料棒たちは声も上げることができずにひっそりと待っている。


2012年1月15日(日曜日)

米国民の大半が自由貿易協定、FTA・TPPに不安を感じている

 

ワシントンの天候は変わりやすい。

昨日は真っ青に晴れていたのに今日は朝から冷え込んで午後から雪が降り始めた。

 

夕方、米国の全国労働総同盟(日本で言えば連合)の事務所を訪問する。

応接室の窓から、すぐ目の前にホワイトハウスがくっきりと見える。

窓ガラスを通じて、暮れなずむホワイトハウスにしんしんと白い雪が舞っている。

なんともいえない幻想的な風景に、私たちはしばらく窓の風景に目を取られた。

テア・リー会長補佐、キャシー国際部長、ドレーク通商政策担当などAFL−CIO(全国労働総同盟)幹部との意見交換は私を驚かせた。

 

リー会長補佐は語る。

「我々はオバマ大統領のTPPについての姿勢に異議を唱える。

これまでのメキシコ、カナダとの北米自由貿易協定(NAFTA)、その他のFTAにしても多くの雇用の創出が約束されたが、実際にはそうならなかった。逆にNAFTAだけでも、安い外国人労働者が移入して100万人の米国人の雇用が失われている。

例えば、米国の企業が自国の工場を閉鎖してメキシコに進出する。そうでなければ賃金を半分にしてくれと経営者は被用者に迫る。職場を維持していくためにやむを得ないと賃金カットに応じたら、それでもメキシコに工場は移転して失業者が増えてしまう。

それだけではない。そのようなことが相次いで生じてくれば、当然ながら労働者の賃金も引き下げられて労働環境が劣化してきたのだ」

私は日本でTPPに賛成している連合の幹部に、これらの話を聞いて欲しかった。

 

リーさんの話はさらに続く。

「米国にとって、自由貿易は大企業、多国籍企業の利益にはつながったが、雇用の面では失業が大幅に増えて、かつての倍近い失業者を生じさせた。現在では米国民にとって富裕層と貧困層との格差を広げただけに終わっている。

TPPが締結されて、ベトナム、マレーシアなどからの安い労働力が米国に流入してきて、さらに格差社会が進むのではないかと私達は心配している」

 

うなずける話である。まさに私がTPPに日本が参加して一番怖れていたことだった。これまで私はNAFTAではメキシコとカナダが負け組みで、米国だけが勝ち組だと考えていたが実際にはそうではなかった。

米国でも勝利したのは多国籍企業などの大企業だけだったのだ。

 

「山田議員、それだけではないのです。メキシコでは労働者はさらに悲惨な状況に追い込まれました。NAFTAの前に約束されたように賃金が上がるどころか、どんどんカットされて失業者が増えたのです。

劣悪な労働条件のもとで犯罪、暴動まで生じました。今では組合に参加している労働者は1%にも満たないほどです」

私は、日本の連合がTPP参加に関して、ILOの基本条約が承認されて労働者の権利がさらに保護されると言っていたのをお聞きしたが、米国に来てそうではないことがわかってきた。

 

米国で昨年12月に開かれた米国議会・貿易商委員会の公聴会でUSTRの責任者であるマランティス次席代表は、

「TPP加盟国ではすべての環境と労働を統一したルールにする」と述べている。

同公聴会では5月10日合意が何度も語られている。

その内容について、先日批准された米韓FTAでも、韓国で労働問題の紛争が生じた場合には米国の関係者が入る理事会で解決することになっている。

 

それだけではない。

米・コロンビアのFTAでは米国は労働省の新設、労働監督官の採用、さらに刑法の改革まで参画することが決められている。しかも労働に関する義務は、商業上の義務と同様の紛争解決手続きをとることになっている。賠償額も貿易により生じた損害額となっている。

こんなことでいいのだろうか。

 

日本の労働法における労使関係は解雇権の乱用に関する規定など長い間の「判例」の積み重ねによって体系だったものになっている。

TPPに参加すれば、これらが壊されて労働法そのものの改正が必要とされる。

米国はILOの基本条約は団結権および団体交渉権など8件があるが、強制労働禁止と最悪の状態での児童労働の禁止など2項目しか認めていない。

私も弁護士なので、かねてから米国よりも日本の方が労働者の権利は保護されていることは知っていたが、非常に心配になってきた。

米国から派遣労働を押し付けれて、日本の終身雇用が失われて雇用のうち非正規雇用だけで4割を占めるようになったように、多国籍企業、大企業にとって都合のいいように労働法を変えさせてはならない。

 

メキシコの場合は労働上の環境の劣化だけではなかった。

実はメキシコでもNAFTAに参加する前には、企業進出で雇用が大幅に期待できるのに加えて、農業の分野でもトウモロコシの価格は上がるなどとバラ色の夢に包まれていた。

ところがNAFTAに参加したあとでは、この10年大変な状態に陥っている。

メキシコでは昔からトルテーィアで有名なようにトウモロコシが農業の主たる生産物であったが、米国の遺伝子組み換えのトウモロコシに一蹴されて農業は壊滅状態に陥ってしまった。

 

そのはずである。

米国ではトウモロコシでも1エーカー当たり28ドルの補助金が生産農家に与えられているのに、カーギルなどのグローバル穀物商社が輸出信用を背景に関税ゼロのメキシコに進出すればひとたまりもない。

サトウキビも米国産のGMOトウモロコシを化学処理した異性化糖に席捲されて、砂糖産業そのものも大変な状態になってしまった。

農地を離れた農民がどっと米国の南西部に職を求めて押し寄せて、それが米国人の失業、労働環境の悪化につながったのだ。

 

「自由貿易では関税をゼロにするだけでなく、すべての各国のルールは貿易にとって邪魔な非関税障壁だとしてルールを変えていくのだから、すべての国にとって企業の利益にはなっても、国民のためにはならない。米国民の大半もそう思っているのです。」

リーさんはそのように結んだ。

そして「TPPについて、米国の国民はこれから議論を始めることになります」と加えた。

 

私には衝撃だった。

労働組合の幹部は自由貿易に懸念を感じても、米国では、大半の人がFTA、TPPなど自由貿易は国益につながるとして大賛成だろう考えていたのだった。

実際には上院・下院の議員の中にも、ファーマーズ・ユニオンさらに自動車業界など産業界にもかなりの人が自由貿易やTPPに反対もしくは懸念を感じていたのだ。

 

調べると、それなりのデーターが揃っていた。

米国におけるNBCニュースとウォール・ストリート・ジャーナルの2010年9月の世論調査によれば69%の米国人は「米国と他国のFTAでは米国の雇用を犠牲にしている」と考えている。さらに自由貿易は米国に利益をもたらしたと考えているのは国民の17%に過ぎない。

むしろ53%の米国人が米国に損害を与えたと答えていて、これは1999年の調査が30%だったことからしても明らかである。

20ほどの米国の各種世論調査もそのような状況だった。

 

日本とは異なる。

日本の世論調査は1年前は70%以上がTPP賛成で大新聞の論説委員、テレビ局の解説委員もすべてがTPP賛成だったことを考えれば、歴然とする。

昨年の11月頃からようやく国論も2分されるようになった。

 

全米労働総同盟を退出したときには、すでにワシントンはとっぷりと暮れていた。

あれほど降りしきっていた雪もやんでいた。


2011年12月27日(火曜日)

野田総理の消費税増は間違っている

12月25日のブログから

 

 

はらはら、はらはらと銀杏の褐色の葉が風に舞って落ちてくる。

まるで蝶が舞っているかのように。

綺麗だ。

そのうちに、銀杏の葉が黄色い絨毯のように降り積もる。

 

いつものことながら、この時期の国会周辺の銀杏並木にはなんとも心を癒される。すでに葉がほとんど落ちて、力強く黒々とした幹と鋭い小枝が青空に立っている銀杏もあれば、今を盛りとさんさんとした陽光を受けて黄金色に輝いている銀杏の並木もある。小さな国会の初冬である。

国会も閉じられた。

 

ところがこのような時期に国会は再び慌しく動きだした。民主党では「税と社会保障の一体改革」についてのPTが、野田総理の不退転の決意のもとに連日激しい議論を続けている。高齢化で伸び続けている社会保障費の伸びを、消費税を5%上げて賄おうとする意図だが、間違っている。私には消費税を上げるために、財務省が描いたシナリオに野田総理がその通りに動いているとしか思えない。

 

私たち民主党は任期中、4年間は消費税を上げないことを約束して政権交代した。政権交代する前に私はネクスト厚生労働大臣をさせていただいて、年金の一元化と最低保障年金7万円をマニフエストに盛り込んだ。

当時民主党のネクストキャビネットにおいて、公的医療保険について、協会健保(当時は政管健保)と組合健保の一元的運用、将来に向けての一本化と、国民健康保険も全国一律にすることを決定した。

 

覚えているだろうか。長妻さんが消えた年金を徹底的に追求して、旧社会保険庁のずさんさを主張して、我々は国税庁と社会保険庁を合体して「歳入庁」を創設することをマニフエストで約束した。

先ず私たちは消費増税をする前に、約束したことの実現を図らなければならない。

 

連日、社会保障と税の一体改革のPTは開かれているが、その中で5%の消費税のうち、4%は財政の赤字補填のために使われることが明らかになった。このことはPT参加の全員が認めるところとなっている。高齢化を迎えて医療、介護費用が年に1兆円も増えるので、どうしても消費税を上げなければならないという政府の説明は、国民を欺いていたことが明らかになったのだ。

 

私は公的医療保険のうち、中小零細企業が負担している協会健保は所得に対しての保険料率が9.34%なのに、主に大企業の組合健保が6%から7%なので、協会健保並みに保険料率をすれば、どれだけの保険料が新たに徴収できるか厚生労働省に試算させた。なんと概算で1兆3000億円が新たな財源として、確保できる。

 

さらに、定年後のサラリーマンなどが負担している国民健康保険にいたっては、各市町村単位なので、私の故郷五島市などでは所得の15%も負担されている。国保では所得の上限が400万円までと定められているので、年に400万円の所得の人と我々国会議員2000万円の収入がある者も同じ保険料を負担している。

この上限を撤廃すれば3400億円の新たな保険料の収入があることを厚労省は明らかにしたのだ。

これに公務員の共済保険も保険料率を一律にすれば、消費増税をしなくても、2,3兆円の保険料を徴収できることになって、これだけで高齢者の社会保障費の自然増分は賄えて、何も消費税を上げる必要は全くないことになる。

 

私は社会保障と税の一体改革のPT総会で、さらに吼えまくった。「我々は消えた年季で社会保険庁の年金の管理がずさんなことに呆れて、国税庁と一緒にして「歳入庁」を新たに設置することをマニフエストとして、政権交代したではないか。

国税庁が法人の事業所から徴税できているのは253万件、独立行政法人年金機構(旧社会保険庁)が徴収できているのは175万件、国税庁を歳入庁としてこれをすべて一度に徴収すれば保険料で5兆円、年金で5兆円は新たな財源として確保できるはずで、ここで財務省の言いなりになって消費税をあげる必要はない。皆がシーンとして聞いてくれた。

 

連日、主張してようやく「歳入庁」をPTで明記することになった。

厚生労働省、財務省も私に徴収している法人の事業者数を明らかにしたが、それでも71万事業者から旧社会保険庁は徴収できてないことが分った。

それに政府が主張している共通番号(納税者番号)ができれば、クロヨンなど(サラリーマンは9割、事業者6割、農漁業差などからは4割しか徴収できてないと言われていた)として補足できなかった分も徴収できればもう5兆円ほどは新たな財源になるのではないだろうか。

 

私にはどうしても、この時期に消費税を上げることには納得ができない。デフレが20年も続いて、大震災、福島原発の放射能汚染もあって景気は冷え込んでいる。このようなときに、増税の議論をするだけで先行きの不安を感じて消費者の財布は固くなっていく。景気はさらに冷え込んで、税収も減るのではないだろうか。かつてない円高で企業の空洞化もさらに進んでいる。

 

 むしろ、このようなときこそ、国債を50兆円ほど発行して、大震災の復興もあることだから市場なり日銀なりに引き受けさせて市場に流通させることが必要ではないか。

そうすれば名目GDPも増えて、国民の間まで金が回り始め消費も伸びることになる。

かねてからの念願であったてデフレからも脱却できて、インフレ基調に戻すことができる。

そうすれば年金のスライド制で、物価が下がった分の払いすぎたと言われている7兆円の特例措置を解消してこれから3年間で2,5%年金を減らしていく必要もなくなる。

当然のことながら、ドル資産に比べて、円資産を増大させることになって、円も下がって1ドル100円ほどになって、企業の空洞化も止まって輸出も伸びて税収も増えていく。

 

ところが、財務省や野田執行部はそのようなことをすれば、地方も合わせて1000兆円にもなろうとしている国の債務がさらに膨らんで、すぐに国債の金利が上がりギリシャのように財政は破綻してしまうと反論する。

 

しかし考えていただきたい。世界で一番円が買われていること、日本の国債金利がずば抜けて低いことを考えれば、日本の財政は世界でもっとも健全であると言える。

米国も雇用拡大のために通貨の量的緩和を図り、米国債を発行してドル資産を3倍に増やしたが、米国国債の金利はむしろ下がり続けている。

日本でも50兆円の国債を発行しても、今のようなデフレの状態では国民にとって、国債が一番信用できる金融資産だから金利が上がっていくことはない。

今であれば大震災、福島原発のためといった国際的な言い訳もできる。

何故そうしないのだろうか。

 

国会周辺の銀杏の木も、日毎に落葉して冬の日差しに鋭い小枝を天空に突き立てている。


2011年11月21日(月曜日)

ブータンの国王、王妃に感動して、深く考えさせられた

11月18日

 

 

ありがたい。

ブータンの若いワンチュク国王、王妃夫妻の立ち居振る舞いをテレビで拝していて、なんとも泪が込み上げてくるような暖かさを感じる。

私達が遠い昔に忘れ去っていたものを。

 

国会でも衆議院本会議場で、直接にお話をお聞きすることができた。

議場は立ち見が出るほどの熱烈な歓迎だったが、これまでにも各国から元首、大統領を国会にお迎えしたが、このような歓迎ぶりは初めてではなかったではなかったろうか。

ブータン国王、王妃の来場に皆が総立ちして拍手がやまない。

私も、久しぶりにまぶしいものを感じた。

 

 

ワンチュク王様は「私のような一介の若者にこのようなお出迎えをいただいてありがたい・・・・・」と謙虚に語り始めた。

「・・・国民一人ひとりの心の豊かさを求めて尽くして生きたい」と心からそう述べられていることに痛く感動した。

今回のブータン国王、王妃の来日は、国会議員のみならず、大震災、福島原発事故に苦しんできた私達日本人の心を強く突き動かしたのではないだろうか。

 

被災地福島に赴き、祈りを捧げて合掌している姿もなんともありがたい。

そういえば、天皇陛下ご夫妻が、東日本大震災の被災地を毎週訪れては、一人ひとりに語りかけては励ましていた尊い姿が思い出される。

 

福島の子供たちに語った「龍」の話も、私達大人の心も打つ素晴らしい話だ。

「龍を見たことがありますか」

「私は見たのです」

「龍は私たちの心の中にいて、経験を食べて強く大きくなるのです」

確かに、人はどん底の苦しみの中から、歯を食いしばって頑張っていく。

「そうして、龍は強く大きくなっていくのです。その龍をコントロールする心を持つことが大切なのです」

なんとも意味が深い話である。

 

アジア太平洋を囲んで、TPPによる米国の覇権、そして大国中国の最近の軍事、経済力を背景にしたインド、インドネシアなどまで巻き込んだ東アジア自由貿易圏との争いが激しくなっている。

日本の野田総理も貿易立国としてアジアの成長をとりこんで経済成長を図ると強い決意を述べている。

 

米国との通商交易の中で、日本は大店法を呑まされ、地方の商店街はシヤッター通りになってしまった。

労働者派遣法を製造業まで押し付けられて、今では雇用の4割は派遣労働になり、その7割は200万円以下の年収で日本の終身雇用制度は破壊された。

若ものの深刻な失業、食べることも医療も受けられなくなった高齢者、日本の格差社会は次第に広がっている。

 

これからの日本は、巨大な金持ちもいない代わりに、食べられない、医療も受けられない人もいない、内需を中心とした一人ひとり心の豊かさを享受できるブータンのような普通の国を目指すべきではないだろうか。

深く考えさせられた。


2011年11月13日(日曜日)

11月12日 これから長い、闘いが始まる

11月12日 これから長い、闘いが始まる

 

昨日、終日冷たい雨が降り続けた。我々はなんとしても、
TPPへの参加を阻止しなければならない。朝から必死に
なって動き始めた。

「野田総理は、記者会見の前にTPPに参加するのであれば、
その前に両議員総会でどのような理由で参加表明するのか
説明しなければならない」

と両議員総会の開催を求めて、党員3分の1以上の署名を集めて回った。
金曜日で議員は午後からは地元に帰ってしまう。急がねばならない。

私も朝から樽床幹事長代行にお会いして、両議員総会開催の要求をした。
輿石幹事長にも重ねて、前日まとめた党からの総理への提言「慎重に
対応する」ことを野田総理に直接話していただくよう訴えた。

午後になって事態は動きだした。輿石幹事長が総理と鹿野道彦農水相
を呼んで3者会談を開いた。幹事長からの総理と農水相への話でTPP
交渉参加ではなく、参加へ向けての事前協議でとどまることで合意ができた。

鹿野農水相はさらに念を押した。
「総理、あくまで参加が前提の事前協議ではありませんよ」

 その後、私も幹事長室に呼ばれて、輿石幹事長からいきさつの概略
をお聞きした。「この件で1人の離党者も出してはならない」と強い口調で
政府に語っていることをお聞きした。事態は好転するかもしれない。
私もかすかな希望を持つことができた。

その頃には、両院議員総会を開くために必要な定数を越える142名の
議員署名が集まってきた。嬉しかった。早速、必死になって署名を集め
た仲間、皆で再び院内の幹事長室に向かった。

輿石幹事長に、142名の集めたばかりの名簿を手にして、すぐにでも
両院議員総会を開いていただくようお願いした。
「皆、本当に真剣なんです」
私からも申し添えた。

予算委員会でもTPPに関する集中審議が午後も引き続き行われている。
何しろ、党内も国論も2分している、国の形が変わるような大きな問題だ。
議論も多岐にわたって白熱してきている。

幹事長室から連絡があった。
「手を尽くしたが、今日のうちに開催するには時間がない。総理がAPEC
から帰ってから、間をおかずに「政策懇談会」と言う形で開きましょう」
私も納得した。

落ち着かない。党の包括連携PTでは政府の判断に慎重であるように
提言している。しかもTPP交渉への参加の是非については、政府は懸念
されていることの事実を確認して、国民に十分な情報の提供をすると同時
に幅広く国民的な議論が必要としている。それに推進派の議員も認めてい
るように圧倒的に「参加表明すべきではない」「時期尚早」の意見が多数
だった。そのことも明記して、以上のことを十分に踏まえたうえで、政府に
慎重に判断しなければならないと結んでいる。
この提言からすれば、野田総理もTPP交渉参加の表明はできないはずだ。
ただ新聞もテレビも野田総理が参加表明をすると報じている。

しかし、輿石幹事長にも、随分骨折っていただいているので交渉参加は
見送られるのではないか。私の心は千路に揺れた。

夕刻になって、少し明るい情報が入った。今回は参加表明ではなく、
「向けて」具体的な事前協議を始める旨の表現に変わってきたようだ。
しかも交渉に参加する前に各国から何を求められるか情報収集などの
協議で参加、不参加の判断、結論は先送りになった。
これだったら、我々も何とか、党の提言を受け入れたものとして納得はできる。

本当にそうだろうか。午後8時、我々は野田総理のテレビでの記者会見を
固唾を呑んで見入った。緊張した。聞き終わって、私はほっとした。多少聞
いていた内容とは違うところもあったが、おおむねそのような趣旨だった。
皆からさまざまな意見が述べられた。

「これでは交渉参加の表明ではないか」
「これでは困る・・・・」
「いや、交渉参加でなくてこれまでも党が認めてきた協議に止まったのだか
ら、我々の主張が通ったのだ」
「勝利宣言すべきだ」

いずれにしても、記者会見に臨まなければならない。会見の内容は私に任
せてもらった。それが「「ほっとした」した」会見になった。

確かに野田総理の会見の結びは
「このような観点から、関係各国との協議を開始し、各国がわが国に求める
ものについて、更なる情報収集に努め、十分な国民的議論を経た上で、あく
まで国益の立場に立ってTPPについての結論を得ていくことにしています」

参加の前提でもなく、参加の是非の判断は先送りされている。しいて言えば、
我々のTPP参加阻止の戦いは延長戦に入ったのだ。

私は皆に語った。

「これから、長い闘いが始まる」

 ハワイで始まったAPECでも、政府も参加の方針を伝え事前協議に入ること
を述べるに止まるようだ。ところが、すでに米国の政府高官から、日本に参加
の意思があるならば、牛肉、簡易保険、自動車の非関税障壁について米国の
要求を呑むべきであるといわれている。

今、新しい情報が入ってきた。さきほどオバマ大統領が、野田総理との会談を
終えて、「日本は貿易自由化のために、すべての製品とサービスをTPPのテー
ブルに載せる」述べている。(その後、誤報との訂正が入った)
これでは、これまで政府が言ってきたこととは異なる。大変なことになる。
帰国したら野田総理に正さなければならない。

 我々も政治家として、この国の未来に禍根を残すことのないように、近い
将来想定外だったといわせないためにも、不用意な交渉参加をなんとして
も阻止しなければならない。これからが闘いである。


2011年11月1日(火曜日)

カーク代表は、記者会見で「震災後のこの時期、東京が参加を決めることは期待してない」

 昨日、友人から平泉の中尊寺の弁慶のお守りをいただいた。

「山田さん、弁慶のようにTPPに立ちはだかってください・・・・」

「有難う」と受け取った。

どうも私に、弁慶が矢を数十本も射られながら、死んでも仁王立ちになって義経を守った故事に例えて、とことんTPP参加を阻止して欲しいとの想いだろうか。

 

ようやく、今回のTPPは、これまでのような通商条約でなく、国の形そのものが損なわれることになりそうなことが一部のメディアでも取り上げられるようになった。

米韓FTAを見ても、国民皆保険の制度がすでに自由診療が認められるようになって、米国の営利法人の自由診療病院が認められている。

政府もこれまでは、TPP交渉においては医療の公的保険には交渉の対象外であるといってきたが、先日の厚生労働委員会で、小宮山厚生労働大臣も米国から公的医療保険において自由診療を求める旨の要望がきていることを認めた。

オーストラリア、ニュージーランドのケルシー教授らにリークされているTPPの交渉内容からも医薬品の認証、価格決定に関して、米国のルールを押し付けられていることが明らかになってきた。

国民もこれまでのように安価に薬を入手できなくなろうとしている。

 

それだけではない。

公共調達(公共事業)の分野では、今でも次々に倒産しているのに中小の土木建設会社は深刻な打撃を受けることになる。

TPPはもともとブルネイ、シンガポール、チリ、ニュージーランドの4カ国が原締結国だが、それをもとに話し合いが続けられている。それによると、これまで市町村もWTOでは23億円までの公共工事は国内優遇ができたが750万円以上の工事では英語と日本語で入札にかけなければならなくなる怖れが生じてきた。

 

食の安全も脅かされる。

現在TPPでは遺伝子組み換え食品の表示をできないようにするするための話し合いが為されている。

政府もそれらの怖れがあることを、ようやくペーパーで認めた。

残留農薬についても日本はコーデックス基準に従って厳しくしているが、米国が主導して、発癌性があるとして日本では禁止されているポストハーベスト農薬を認めさせようとしている。

厚労省も26の食品添加物についても怖れていること口頭で認めた。

大変なことになる。

今、放射能、セシウムなどが食品に含まれて、内部被爆のことが連日報道されている。

米国では輸出用の遺伝子組み換えのジャガイモを芽が出ないように放射線を照射している。

日本は禁止しているが、TPPに交渉入りすればそれらのジャガイモがどっと輸入されることになる。

 

昨日、TBSで弁護士資格のことがTPPでどうなるか放映されていたが、それだけでない。

越境サービスの分野で、医師、薬剤師、建築士、公認会計士、税理士などの資格が相互承認されることが明らかになってきた。

 

TPPお化けではない。

現実のものになるのだ。

 

それでも、交渉入りして情報を得てから、日本に不利益であれば撤退すればいいと前原政調会長は述べている。

しかし玄葉外務大臣も述べているように、一旦交渉入りすれば抜けられものではない。

先ず交渉入りするだけでも高いハードルがかけられている。

あれだけの農業国カナダも交渉入りを望んだが、自国の酪農製品の関税をゼロにする約束ができなかったばっかりに、交渉入りを断られたいきさつがある。

日本も例外なき関税の撤廃、コメなどすべての物品の関税を10年以内に撤廃することを宣言しなければならない。

経産省は当初からの例外が認められるようなことを喧伝しているが、そうではない。

外務省も関税ゼロの約束をした上で、交渉入りしてから、コメの関税について例外の可能性がないわけではないと述べている。

 

関税だけではない。

米国がねらっているのは、24の分野、金融、保険、政府調達(公共事業)、知的財産権、投資、紛争解決など多岐にわたる分野でのルールをTPP参加国で共通にしてしまおうと提案している。

政府のペーパーでも、随所に国内法の見直しが必要になると示唆している。

交渉に入る前に例外なくこれらのルールをマルチの交渉でのテーブルにあげることを約束しなければならない。

マレーシアが最後まで政府調達の国内優遇にこだわったが、ルールに従うことを約束して交渉に入ることができた。

 

しかも、交渉に入るには各国の同意、米国議会の承認が必要となる。

これだけでも、一旦交渉に入ったら抜けられないことが分るだろう。

あまりにも政府からの情報が不足している。

これでは国会の議論もできない。ましてや国民もTPPとは何だろうと思っているのが現状ではないだろうか。

私達政治家は、後世に「想定外だった」と言わせないようにリークされた情報を国民に知らせて、徹底的に議論を尽くさなければならない。

APECまでに参加の結論をどんなことがあっても出させてはならない。

 

考えれば考えるほど、大震災、福島原発事故の直後にこのようなこと言い出すこと自体許されることではない。

米国のワシントン・トレード・ディリーによれば10月26日の記者会見でカーク通商代表は「我々はこの交渉を長引かせたくない。政府はTPP交渉をドーハ・プロセスのように難航させたくない。そのような遅いペースに陥らないためには、米国政府は現在の参加国(9ヶ国)による構成が好ましい」と述べている。

なんとしても日本がTPPに参加することを阻止しなければならない。

 

私はそっと「弁慶のお守り」を握り締めた。


2011年9月29日(木曜日)

島の秋、ふと「文明とは何だろう」と考えさせられた

 台風一過。空は雲ひとつない真っ青な青空が広がる。

厳しかった残暑も嘘のように、爽やかな秋風が私の中を吹き抜ける。

島の秋。

棚田も刈り入れを迎えて、稲の穂先も豊かに踊っている。

畦道に彼岸を迎えると必ず咲きそろう、真っ赤な蔓珠沙華が彩りを添える。

今年も収穫の秋を迎えて、

「生きていてよかったな」とほっと息をつくひとときだ。

 

しかし、彼岸を迎えても故郷に帰れず、いまだに避難生活を続けている7万人の人が福島にいることに思い至ると胸がズキリと痛む。

福島からセシウム米が検出されたことが報道される。

現実の補償の支払いもないままに、乏しい預金を取り崩しながら、生活を支え、前途に希望を乱せないままに、自殺していく人が後を絶たない。

 

原子の火と言う「文明」を手に入れた人類は、ほんとに豊かなのだろうか。

一月ほど前に、南の小さな島での灯火の話を見て深く考えさせられた。

島民は家族で40個ほどの椰子の実を採り、それらを削って絞りあげる。そこに焼けた石を投げ込んでコップ半分ほどの椰子の油を手に入れていた。

それを大切に扱って、か細いランプの灯をもとに家族が1週間は夜を過ごせると言う。

島の古老が静かに語っていた。

「ランプの日が消えた小屋があると「何かあったのではないか」と訪ねていく」と語っていた。

ふんだんにテレビ、冷蔵庫と電気生活に慣れてきた。私たちの生活が恥ずかしくなる。

 

昨夜のことテレビで、いまだに日本で行われてきた「焼き畑」の番組に深く感動した。

宮崎県の椎葉村の話だったが、数百年、ありは何千年も伝えられてきた焼き畑がいまだに行われていた。

そこでは30年に一回、かなりの面積の山を順番に焼き畑を行っている。梅雨の頃、楢やクヌギの雑木の山を切り払って火を放つ。

山間の谷に焼き畑の煙が立ち上って、神秘的でさえあった。

そこに昔からそこに伝えられてきたソバの種を播くと、もう8月には一面に白いソバの花が咲きそろう。

集落では飢饉に備えて50年前のソバが穂のままで蓄えられていた。

ソバを収穫した翌年には、稗を播く。

黒い穂の稗がそこかしこにたわわに風に揺れている。翌年は小豆、さらに次の年は大豆と4年間は焼き畑で耕作が続けられ、それから山に戻る。

 

セシウムの米、お茶、除染などと騒いでいる現代、島に久しぶりに来て、しみじみと考える。

文明とは何だろうか。

 


2011年8月20日(土曜日)

再び、臓器移植受けて、身も心も洗われる

満月は過ぎたのだろうが、円い月が相模湾の上に傾いている。
穏やかな湾内は月の光をうけて波高がきらめいている。
私は病室の灯りを消して、窓に頬杖をし、いつまでも幻想的な海を見つめている。
暗い波間はきらきらと夜光虫でも踊っているかのように無数に波がきらめいている。
いろいろな思いが込み上げてくる。

実はこの8月12日、私は息子から腎臓をいただいて生体腎移植の手術を熱海にある国際医療福祉大学病院で受けた。
手術はうまく行って順調な回復を続けている。
身体中に付けられていた心電図などのモニター装置、尿菅などの管も次々に外されて、後は点滴一本を残すだけになった。
ありがたい。
私は10年前も腎臓を患ってクレアチニンの値が6近くまで上がって、透析をしなければならないぎりぎりのところまで来ていた。
透析になれば政治家を辞める覚悟をした。
当時、足が象さんのように腫れあがって、時間さえあれば横になっていた。
「兄ちゃん、僕の腎臓をあげるよ。日本のために頑張って欲しい」
そのときに、ありがたいことに、実の弟、邦彦から腎臓をいただいて東京女子医大で腎臓の移植手術を受けることができた。
それから、見違えるように元気になって衆議院の選挙を3回も戦い、ついに政権交代することができた。
そして、私は農水副大臣、大臣にまで就任することができて、念願であった農業戸別所得補償、離島のガソリン価格の引き下げなどを思い切って実現することができた。
(この6月に宝島社から出版した「農政大転換」の新書を読んでいただきたい)
腎臓移植は他人の臓器なので、どうしても抗体ができて、平均して10年ほどが限界だとされているが、私の腎臓も3,4年前から次第にクレアチンが上がってきた。
腎性の貧血もひどくなって
「山田さん、何で顔が白いの」と言われるようになってきた。
心配した息子が自分の腎臓の提供を申し入れてくれた。
ありがたい。
しかし、2度までも腎臓を移植して政治家として生き抜かなければならない人生だろうか。
私は迷った。
まだまだ現在のクレアチンの値では1,2年の任期中は透析を受けなくても、政治家としての仕事は続けることができる。
そのとき、東大アイソトープの所長、児玉龍彦教授と福島の放射能の内部被爆の問題で一緒に食事しながら語り合うことができた。
驚いたことに、児玉教授も最近肝臓を患っている奥様に、自分の肝臓を移植してあげたばかりとのことだった。
「山田さん、迷うことはありませんよ、せっかく息子さんがそう言ってくださっているのであればすぐにでも移植手術を受けるべきですよ。山田さんにはまだまだ社会的にも仕事をしてもらいたい」
ときっぱりと言われた。
翌日メールもいただいて「何なら東大病院で手術を引き受けてもいいですよ」と諭された。
私は決意した。
こうして、お盆の休暇中に、東京女子医大の腎外科の教授、寺岡先生が院長をしている国際医療福祉大学の熱海病院で手術を受けることができた。
手術前に心臓、肺、胃腸、肝臓などあらゆる臓器について癌等の検査も受けたが、ありがたいことに腎臓以外はどこにも異常がなかった。
息子の腎臓は、術後すぐにフル稼働し始めている。
私の腎臓のクレアチンの値は術前には3,9ほどあったのが、術後すぐに1を切るまでに下がってしまった。
今では腎臓の機能は普通の成人よりも私のほうが、数値の上ではいいことになってしまった。
現代の医学は素晴らしい。

私の入院している病院の病室は7階にあるが眺望もなんとも素晴らしい。
眼前には一面に空と海が広がっている。青い空に白くモクモクと湧いている夏の雲、
太平洋の真っ青な海がくっきりと水平線を分けて、見事な波紋を浮かべている。
病室のすぐ真下まで、相模湾の波が打ち寄せている。
大きい波、小さい波、それぞれが、走るようにしてまっしぐらに崖下のテトラポットに次々に打ち寄せる。
その度に青い波が砕けて真っ白なしぶきが跳ね上がる。
すべてが洗い流されるような気持ちに満たされる。
身も心も清新な気分に満たされて、これからのことを考えて、一人胸が熱くなってくる。

今宵も病室からザ、ザ、ザブーンと海鳴りの音を聞きながら、静かに眠りに入る。
感謝。


2011年8月5日(金曜日)

再生エネルギーの全量固定価格の買取法案がこの国会でヤマバにさしかかる

政権交代前から、我々は自然再生エネルギーの全量固定価格買取制度をマニフェストに掲げていた。
ちょうど福島原発のメルトダウンが始まる前日の3月11日閣議で固定価格買取制度を国会に法案として提出することが決定された。
ところがなかなか審議に入れない。大地震と津波で原発が次々に止まって計画停電、厳しい節電要請が続いている。
このようなときこそ固定価格買取制度の法案の成立が急がれる。
ところが法案が審議される予定の衆議院の経済産業委員会では他にも法案があって審議順位は4番目だそうで、これではこの国会での法案の成立は望めない。
鉄鋼業界はじめ、産業界は電力料金が上がるとして反対している。
米倉経団連会長も「そうなれば、国内から日本の企業が海外に出て行く」と公言している。
これでは法案の成立が難しくなる。
私は心配になった。
折から、エネシフジャパンを主宰してきた社民党の阿部知子議員の呼びかけもあって、筒井信隆農水副大臣と相談した。
「菅総理が自然再生エネルギー法案に関心を持っている噂がある。退陣の花道としてこの法案の成立を図ってもらえないだろうか」
「それはいい。急ごう」
こうして、近藤昭一環境副大臣、平岡秀夫総務副大臣と語らって法案成立を目指して署名運動を始めることにした。
手分けして回った。
自民党、公明党からも署名をいただいて、金曜日、月曜日と2日間でなんと203名の署名が集まった。
こうして、官邸に筒井副大臣を先頭に、自民党の河野太郎議員ら数人で署名を携えて官邸で菅総理に法案の成立を督励した。
さらにエネシフでも、ソフトバンクの孫正義社長を国会に急遽お呼びして講演会を大々的に開いて機運を盛り上げることにした。
エネシフの会場に突然菅総理も現れて、菅総理と孫さんとが再生エネルギーを巡ってのエールの交換になってしまった。

こうして、菅総理は自らの退陣の条件として、震災復興の補正予算、特例公債法案、再生エネルギーの固定価格買取制度の法案、3法案の成立を条件としている。
震災の補正予算は成立して、子供手当ても自公に妥協して来週には特例公債法案成立する見通しが立ってきた。
ただ一つ、再生エネルギー法案がまだ目途が立っていない。
鉄鋼業界など経済界も激しい反対の動きを見せている。
水面下では修正の動きも出てきた。
海江田大臣も国会で「電気料金を抑えるために賦課金を0,5円で押さえたいと国会で答弁するにいたった。
これでは2020年までに自然再生エネルギーはこれまでの4%しか増えずに、菅総理が国際会議で約束した「日本も2020年の始めには再生エネルギーを20%にはしたいと言ったこととは大きくかけ離れる。
これでは法案は成立しても、事実上骨抜きになってしまうことになるのでは。
心配している。
今この法案をともあれ、キャップをかけずに成立させれば、太陽光発電、風力、小水力、バイオマス発電など一気に弾みがつく。
考えれば、確かに日本は化石燃料の資源が乏しい。年間25兆円、GDPの5%は輸入の燃料代に使われている。
しかし、太陽光においては日照時間がドイツの倍ほどあり、島国で風力にも恵まれ、何よりモンスーン地帯で降雨量も多く水力発電に向いている。昔から、日本の村社会には水車が8万基もあって大切な動力源であった。
また日本は火山地帯なので今回のような地震も多発するが、地熱発電にも最適の国でもある。
自然再生エネルギーを考えると日本が一番恵まれていることになるのではないだろうか。
それに再生エネルギーの、太陽光、風力、地熱にしても最先端技術としては、世界でも日本が一番進んでいるといえる。
固定価格買取制度の法案が成立すれば、太陽光パネルにしても、現在平均価格で1KWH当たり56.5万円しているが、5年以内には10分の1まで価格も下がることが予測される。
ちょうど、数年前液晶テレビが40インチで50万円していたものが今では4,5万円、10分の1に下がったように。
ドイツでも1KWH当たり62円で全量固定価格買取制度を始めたが、今では29円まで下がり、37万人の新たな雇用を生んでいる。
現在家庭での電気料金は1KWHあたり25円しているが、いずれ太陽光はそれよりも安くなる可能性を秘めている。
それだけではない。
蓄電池の技術も日進月歩で進んでいる。今年の12月にはNECが従来の価格の半額でリチウム電池の販売を始める。
住友電工もナトリウムイオン電池を2015年には10分の1の価格で販売する予定と報道されている。
風力発電においても部品だけで2万点といわれ裾野の広い分野である。
まさに再生エネルギーはデフレに苦しんできた日本にとって、起死回生のイノベーションをもたらしてくれるのでは。
なんとしても、この国会で再生可能エネルギーの買取法案を成立させなければならない。


2011年7月23日(土曜日)

セシウム牛についての全頭検査をすべき

福島原発の3月12日から16日にかけての事故について、東大のアイソトープ研究所所長の児玉龍彦教授は次のように語ってくれた。
「薄く広く100キロ四方100万平方キロの地帯に、少なくとも広島型の原爆10個分が飛び散ったのです。それだけ一帯が被爆したのです。
恐ろしいことです。
当然、これらの地域がチェルノブイリでは要警戒地区になるわけです。
これからヨウ素はすぐに半減期が来ますが、セシウムはそのまま地表に残ってどこかに雨風で偏っていくのです。
だから郡山で50万ベクレルの稲藁が出るなど各地でホットスポットが生じるのです。これから偏りがさらにひどくなっていきます」
聞いている私も緊張する。
「児玉先生、今回の水素爆発で避難区域を3キロから6キロ・・20キロと次第に広げていったが、その間にも外で遊んでいた幼児等は放射能に晒されていたわけで、ヨード剤も与えなかったが大丈夫でしょうか」
「私も心配しています。幼児は成長期にあるので、遺伝子が分化しています。そのようなときに遺伝子が傷つきやすいのです。チェルノブイリでも5年後くらいから甲状腺がんが多発しています」
「今、高濃度の放射能に汚染された稲藁を食べた牛がセシウム牛として問題になっています。すでに食べた人もいますが内部被爆は生じてはいないでしょうか。」
「食べた牛肉の量の問題はありますが、普通に2,3回食べたぐらいでは大丈夫でしょう。遺伝子が一個放射能で切れたとしても人間には修復機能があるので大丈夫ですが、2個目が切れると癌にかかりやすくなります」
「セシウムはしばらくすると体外に排泄されるので心配ありませんと言っている学者もいるようですが、本当に大丈夫でしょうか」
「そうではありません。日本の福島譲二博士のチェルノブリノでの研究論文では、セシウム汚染地域の膀胱には、高い線量でも中間的線量でも、増殖性の異型性の病変が起こっていることを発見しました。被爆地域の住民の膀胱の病理組織を緻密に分析すると、ほぼ全例からこのような増殖性の異型性変化が発見されたが、非汚染地区患者の膀胱にはみられなかったのです。ここでいう高線量区域、中線量区域を福島県に当てはめると、浪江町が高線量、飯舘村が高線量と中線量、福島市や南相馬市が中線量にあたるのです」

おりしも朝のテレビのワイドショウで生まれて間もない幼児が380ミリベクレルの被爆している映像が流されている。
恐ろしいことだ。
私は正直言って、放射能のうちヨウ素を被爆して甲状腺がんが発症することを心配していた。セシウムはすぐに体外に排泄されるもので、さほど心配は要らないだろうと安易に考えていたが、とんでもない話のようだ。
やはりセシウム牛を国民に食べさせてはならない。
消費者は敏感に感じ取っているのだろう。
現在、芝浦の屠場ではこれまで最低でもキロ当たり2100円はしていたA5の黒毛和牛がキロ600円でも売れない、値が付かない状態が続いている。
全国の生産者は青息吐息でこれから深刻な倒産の危機を迎えている。
大変なことになった。
今は何よりも国民に牛肉に対しての安全と安心を政治の責任で取り戻さなければならない。
BSEのときのように、厚生労働大臣は直ちに全頭検査して500ベクレル、安全基準値を超える牛肉は直ちに回収して廃棄処分にする。
放射能に汚染された稲藁を食べた牛、すでに出荷されたとされる牛3000頭についても農水省、政府がすべて買い上げる。
福島県、宮城県など出荷制限している地区の肉牛についても準ずる措置をとるべきである。
次に、豚肉でも価格が暴落したときには、畜産振興機構で買い上げて需給調整を図るように、今回の非常事態では緊急対策事業として調整保管にも踏み切るべきではないか。
ここで価格の安定を図ることが、結果として国の財政負担の軽減にもつながるものと考える。
財務も渋ることだろうがもともと国が原発を鳴り物入りで進めてきた責任がある。
稲藁の汚染について想定外だといって通る話ではない。
国の責任も免れない。
しかし第一次的には東京電力の責任であることは間違いない。
後日、それらの経費はすべて東京電力に求償請求すれば足りる。当面は国の予備費からの支出で賄うべきであろう。
全頭検査にも異論がある。
全頭検査にはゲルマニーム検出機が全国に29台しかなくて、1頭辺りの検査にも時間がかかるので物理的に不可能だという言い方をするがそうではない。
それよりも簡易なシンチレーション検出機が100台ほどはあって各県に1台から2台の配置は可能である。
今ではトレサビリティが完備しているので、福島など稲藁を使ったところから優先して配備すればいい。
もう一つ大事な話しがある。
現在児玉教授は、土・日曜日には毎週南相馬に出かけて、主婦の皆さん方と除染作業を熱心に続けている。
水などで洗い流すなどしているうちに、強い放射能の塊ができてくるが、そうなると素人の主婦の皆さんには触らせられなくなる。
児玉先生は自分でドラム缶に入れて東大まで運んできているそうだが、政治家は国会は一刻も早くこの除染作業の廃棄物をどこにどのようにして隔離するかを決めなければならない。
1RRCの専門家と一緒に除染のマニアルを早く確立して直ちに取り組むべきである。
除染作業にかかる予算をここで大胆に組まねばならない。
ベラルーシは25年が経過した現在でも国家予算の2割は除染作業につぎ込んでいる。
日本では除染作業はまだボランティアの段階で、本格的な専門家による組織的な動きは見られない。これからである。
なんとも急がれるのに政府の対応が後手後手に感じるのは私だけだろうか。

 


2011年7月15日(金曜日)

ケルシー教授の講演は素晴らしかった

 

東日本大震災、福島原発の事故以来はTPPの話は終わったかのように見られているが、実際にはそうではない。

つい先日もベトナムで米国をはじめとする9カ国が集まって、24の部会でそれぞれに話し合いが続けれている。

民主党本部にルース大使も招かれて講演、TPP交渉への日本参加を強く求めている。

日本政府も外務省、経済産業省は依然として関係国との事前協議を着々と進めている。

怖いのはTPPの交渉は条約が調印されるまで、すべてその内容について国民に一切知らされないことだ。

 

私達、TPPを慎重に考える会としてはなかなか情報が限られて、秘密になされている交渉がどの程度まで進められているか、国民生活にどのような影響を及ぼすのか、ニュージーランドからケルシー教授を日本に招いて講演していただくことにした。

教授はすでに始まっているTPPの交渉に、ニュージーランドとして危機感を覚え、あらゆる会合に出かけては交渉官に個人的に接触して、手探りで情報を集めている。

最近、「異常な契約TPP」を執筆して、その日本語の翻訳本が「農文協」から出版されたばかりだ。

 

12日には、大震災の被災地宮城県に行き先ずは被災地の現状を見ていただいた。

驚いている。

私も驚いた。2ヶ月ぶりに被災地を訪れたが、すでに目に見えるところはあらかた瓦礫もかたづけられている。

そのあと仙台市のホテルでTPPについての講演をしていただいた。

皆、食い入るように聞き入ってくれている。

「米国の投資家(大企業)を保護するために、TPPでは政府に対して裁判ができるようになっている。既に米国のタバコ会社がオーストリア政府に「健康のためにタバコの吸いすぎに注意しようとの字句を入れさせて、自社の商標の信用を損ねている」として数千億円の損害賠償を求めている。怖いのはこれらの裁判が世銀の一部で秘密裏に審理され、すべての記録も非公開でなされることだ・・・・・」

次々に興味深い話が展開される。

 

ことに、ニュージーランドでは小泉政権時代にが竹中平蔵氏らが先進的なモデルとして例に挙げていたように、郵政、航空会社、国鉄、刑務所までもが民営化して結果はどうなったか?

結果として、失業が増えて、貧富の差が拡大して民営化は失敗に終わって郵政についても、郵貯銀行などは、再び政府が手がけている。

 

翌朝、札幌市で後援会が開かれたが、ここでも500人を越える人が集まって熱心に聞いていただいた。

昨日、14日には憲政記念会館でケルシー教授の「東京講演会」を開くことができた。

当日は、急に衆議院の本会議が同じ時間帯に開かれて、私は心配したが杞憂に終わった。

ネットの口コミでの宣伝も効いたのか、立見席が出るほどの盛況な講演会になった。

特別ゲストに「ミスター円」こと榊原英資先生に来ていただいたのがよかった。

 

榊原先生が次のようにしめられた。

「20年前、私が大蔵省にいて、米国と交渉していた時と変わらない。米国は大国のエゴをTPPで押し付けようとしている。しかし、今は保護主義がいいとか自由主義がいいとかの二元論ではなく、中国、インドなどアジアを中心として世界経済が動き始めていることを見なければならない。日本としては、冷静に国家として、利害得失を考えなければならない。何よりも国民にTPP交渉のテキスト内容を政府に明らかにしてもらうことが大切である」

 

さすがに、なるほどと思った。


2011年7月10日(日曜日)

「口蹄疫レクイエム」毎日新聞で報道される

先月、2冊の本を出版できて嬉しい。
「口蹄疫レクイエム」は毎日新聞がいち早く報道してくれた。
一時はヤフーのトップニュースにもなって、問い合わせも次々に受けることになった。
毎日新聞は私の思いを執念の一冊として次のように報道してくれている。

毎日新聞2011年6月29日(水)夕刊

前農相が「口蹄疫」小説

宮崎県で昨年猛威を振るった家畜伝染病の口蹄疫を描いた小説を山田正彦前農相(69)=写真=が書き上げた。タイトルは「口蹄疫レクイエム 遠い夜明け」(KKロングセラーズ刊)。副農相、農相として陣頭指揮を執った山田前農相は「できるだけ事実に沿って描いた」といい、関係者が実名で登場する「ノンフィクション・ノベル」となった。
弁護士出身の山田前農相は牧場経営の経験もあり、これまでの農政に関する専門書や小説を出版している。
農相を昨年9月に退任後、「29万頭もの家畜を犠牲にした口蹄疫について、鎮魂の思いを込めて記録したい」との思いを募らせた。宮崎へ足を運び、発生した農家や殺処分に当たった獣医師らから取材。いとおしい家畜を殺処分した苦しみや悲しみ、憤りの声に耳を傾けた。
ワクチン接種の経緯が詳しく、宮崎県や東国原英夫前知事の対応を批判的に描く場面も多い。初発とされる農家が初発かどうか疑問も投げかけている。
当初は「私は・・・」という一人称で書き進めたが、「自分の知る範囲は限られている」と行き詰った。「口蹄疫禍を客観的にとらえたい」と、自身について「山田は・・・」と記して小説仕立てにした。
「何度も書き直しただけに、執念の一冊になった」と振り返る。四六判で約300ページ、定価1890円。


私の友人からメールが入った。
「山田さん、赤坂の文教堂書店に、「オバマの戦争」の横に平積みされていますよ」
やはり嬉しい。面恥ずかしくもあったが、書店に出かけて行った。
これで本屋さんに並ぶ本を11冊書き上げたが、チラッと見ただけですぐに外に出てしまった。
つい先日、トヨタ自動車の奥田さんに、民主党の私の友人数人と夕食をご馳走になった。
TPPの話など突っ込んだ話ができて面白かった。
「山田さんの口蹄疫の本パラパラと見るつもりだったが、つい引き込まれて全部読んでしまったよ。推理小説のような面白さがあったよ」
奥田会長は笑いながら語ってくれた。
やはり嬉しい。
書きあげるまでに、さんざん苦労して何度も書き直しただけに、こうして読んでいただければ、なんとも込み上げてくる感動がある。


2011年6月19日(日曜日)

もう1冊、実名小説「口蹄疫レクイエム・遠い夜明け」を出版することができた

嬉しい。
苦心惨憺した口蹄疫の小説が刷り上った。
ハードカバーの立派な本でピカピカしている。ページ数も300を超えて分厚い。
題名は「口蹄疫レクイエム・遠い夜明け」となっている。
しかも、「実名小説」と肩に書かれてある、珍しいノンフィクション・ノベルになった。
もともとは、農水大臣も勤め終わって、どうしても29万頭の牛豚を殺処分させたことが内心忸怩たる思いに駆られて、少なくともウイルスの感染経路だけでも明らかにしたいと考えて記録を調べ始めたのがきっかけだった。
そのうちに幾度となく宮崎に通って、事実関係をつぶさに聞いて回った。
そして、事実をできるだけ明らかにした口蹄疫の記録として残すことを思い立った。
それからが大変だった。
当初は「私が・・・・、」として感じたところを書き始めたが、そのうちに私が体験したことでなく、もっと事件そのものを大きくとらえて、リアルに表現したいと考えるようになった。
すべて書き直して「私が・・・、」を第三者として「山田は・・、」と称して小説のスタイルに変えた。
簡単ではなかった。
ロングセラーズ社の真船美保子社長と山本秀基編集部長には親身になってあれこれとアドバイスをいただいた。
構成の手直しも重ねながら、最後にようやく私の思いの詰まった「口蹄疫レクイエム」を完成させることができた。
最後に「あとがき」を出版社に送ったときには、秘書の大藤さんに「本当にこれでできたのだね」思わず語っていた。
やはり嬉しい。
真新しい本が刷り上ったのを手にして、政治家としての幾分の責任を果たせたような充実するものを覚えた。
6月24日ごろから店頭に並ぶ予定。価格は1800円+税です。
是非、読んでいただきたい。


2011年6月7日(火曜日)

菅総理が辞任を表明するも、そのままの状態が続く

新緑の鮮やかな季節になった。
細い雨の後で、しっとりとした薄い緑色が快い。
赤坂の衆議院宿舎の玄関を出たところに山帽子の樹が植えられてある。
今年も葉さきに白い花をつけている。
よく見ると、4枚の花弁が互いに寄り添いながら、綺麗な紋様を重ねている。
自然の造形は、いつものことながら見事に調和されている。

国会の中では、いろいろなことがあった。
6月2日になって、自民党、公明党から菅総理に対しての不信任案が出されることになって、永田町は一瞬にして緊迫した雰囲気に包まれた。
私もすでに月刊日本(雑誌)の今月号に東日本大震災の取材を受けて、「菅総理は潔く退陣すべき」と述べていた。そのままのタイトルで雑誌の巻頭に掲載されている。
私にも、福島原発事故と震災の対応が遅れており、政治が責任を持って迅速に取り組めないことに苛立ちがあった。
そうだからと言っても、野党の提出する「不信任案」に賛成の「白票」を投じていいものか悩んだ。
党内の雰囲気からしても、この時期、菅総理がそのままで良いと考えている人はほとんどいない。
「不信任案」が本会議で通ればどうなってしまうのだろうか。
誰しもがそう考えて心配した。
菅総理のことだから「解散」そして総選挙と言った事態も考えられる。
この時期、解散できないとしても、民主党が分裂して、分裂したどちらかが自民党、公明党との連立も考えられる。
いずれにしても、民主党は党分裂の危機を迎えた。

当日、鳩山前総理の懸命な努力によって、本会議の前に開かれた「代議士会」で菅総理は自らが辞めることを表明した。
こうして野党提出の「不信任案」は否決された。
民主党の分裂の危機は免れた。
その後も、6月中に退陣する、そうではない補正予算にめどをつけてからだなどと連日テレビ新聞を賑わしている。
国民、被災者からすれば、義捐金ですら被災者に届けられないような時期に、政治家がこのような醜い権力争いをしていることに嫌気がさしていることは間違いない。

我々としては、1日も早く党内を一つにまとめられるような人、野党、自民党、公明党と対話ができるような人を民主党の代表に選んで、もう一度政権交代時の原点に戻って再スタートしたい。
そして、新しい執行部のもとに野党と協力して福島原発と東日本大震災の迅速な対応を急ぎたい。

雨上がり。
今朝も山帽子の白い花はひそやかに咲いている。


2011年5月29日(日曜日)

この五月の連休中に本を一冊書き上げることができた

この五月の連休中に本を一冊書き上げることができた。
嬉しい。
昨年10月、突然菅内閣がTPPと言い出した。それからはテレビ、大新聞などのメディアもこぞってTPPに参加しなかったら、日本は取り残されると騒ぎ出した。
TPPに参加すればすべての関税をゼロにしなければならない。そうなっても、農業は所得補償するお金さえ用意できれば大丈夫だ。
それよりも第3の開国の道を開いて、輸出を伸ばすことが大切だ。日本の農業も競争に晒して強い農業を達成すればいい。
韓国は先行している。すでに農業の自由化を前に8兆円ほどの対策を始めているではないか、日本も乗り遅れてはならないと、もっともらしいことを識者が言い始めた。
政府も官邸に学者を集めて「農政改革本部」なるものを立ち上げて開国に向けての農業対策の検討を始めた。
ほんとうにそうだろうか。
世論は怖い。
メディアがそう言い出せば、皆がそう思い込んでしまう。
これから開国と言っても、農産物の平均関税は韓国が65%、EUが19%、日本は11
%とすでに開かれている。
郵政民営化のときもそうだったが、当時の小泉内閣は竹中平蔵にニュージーランドの郵政民営化の例を挙げては乗り遅れてはならないとメディアを総動員して押し進めた。
そして、世論を味方に解散総選挙に打って出て大勝利を得た。
結果はどうだったか。
米国ですら郵便事業は国営化のままなので、ニュージーランドも民営化に失敗してもとに戻した。
日本もそれまでは、郵貯、簡保の利益で、郵便事業も地方、離島などの過疎地までのグローバルサービスができたのに、今では過疎地の郵便局がなくなって、お年寄りが年金を受け取るのも難しくなっている。
これから郵便事業に国の税金をつぎ込まなければならないことが、目に見えている。
新自由主義の経済拡大路線はますます貧富の差を拡大した。

東日本大震災、福島原発事故で、しばらくTPPの問題は吹っ飛んだかに見えたが実はそうではなかった。
9月には菅総理が訪米してTPP参加の是非を決めるといい始めた。
我々はTPPの問題も再びメディアに踊らされることなく冷静に考えなければならない。
オーストラリア、ニュージーランドでもTPPについては国内で反対が湧き上がっている。
韓国の農業は今どうなっているのか。

もともと、農政についても私はこれまでの20年間ライフワークとして取り組んできた。
ようやく政権交代できて、農水副大臣、大臣として1年間で思い切った政策を打ち始めたところである。
東日本大震災、福島原発事故も農水産業に甚大な被害を与えている。
調べれば調べるほど、考えれば考えるほど私の心中は悔しい思いでたまらなくなってきた。
皆が本当のことがわかっていない。
こうなったら、私が本を書いて広く、皆に読んでもらうほかに術はない。
私はこの5月のゴールデンウィークの間、東京の宿舎にこもって一歩も外に出ずに、1冊の本を書き上げた。
題して「農政大転換」、宝島社から「新書版」として、6月10日に出版される。
読んでいただきたい。

 


2011年4月16日(土曜日)

飯館村にも春は来ているのに

福島ももう春。
桜がようやくほころび始めた。真っ白な花びらが清楚でなんとも温かい。
山々の木々も赤紫色に芽生えが彩色し始めている。
そのうちに薄緑色に染まっていくのだろう。
そのように何ごともなかったような、のどかな山間を車は走り続ける。

ピッピッと放射線の線量計が先ほどからなり続けていたが、一際高くなる。
皆が緊張する。
「うえっ、7マイクロシーベルトですよ」
飯館村に差し掛かったところで、運転席の横に座って計測していた社民党の職員野崎   さんが悲鳴を上げる。
1時間当たりの線量が7マイクロシーベルトといえば、東京が0.1から0.2マイクロシーベルトだから70倍は越える数値にあたる。
この数値では1年間では7ミリシーベルトの値に達することになって、50ミリシーベルトを被爆した場合には労災保険が適用されるという危険な値になる。
年間1ミリシーベルトの被爆だけでも1000人に1人は癌患者が増える値だといわれている。
しばらく走ると鳴りやんだ。

実は、昨日4月15日から福島原発の事故で20キロから30キロ圏として緊急時避難地域に指定された南相馬市に社民党の阿部知子議員と一緒にやってきた。
南相馬市といえば、原発から20キロから30キロ圏内として「自宅待機」が枝野官房長官から指示されてからは、放射能被爆を怖れて誰も市内に入る者はいなくなって食糧の調達にもことかいた。
それでも南相馬市の桜井勝延市長さんは、「住民が南相馬に一人でもいる限り、自分は市長としてここに留まる」と頑張ってきた。
阿部さんからその話をお聞きして是非とも桜井市長さんに会いたくなってきたのだった。
桜井市長さんの話は面白かった。
「3月の14日でしたか、市役所に突然自衛隊がやってきて、皆すぐに100キロ外側に逃げてくれ、原発が爆発するというんです。
皆あわくいましたよ。市役所の職員もカバンを持って逃げ出すのです。
まーまー慌てないでくれ、県からも何も言ってきてないと押さえたのです。そのときに市の3分の2ほどの住民は逃げ出したでしょうか。大変なパニックでした。
メディアも南相馬市は汚染されているとして、NHK、朝日新聞など何処も来ませんでした。最初に来たのはUPIなど外国の通信社です。
知り合いの共同通信の記者から「取材したいので30キロ圏の外側まで私にきてくれと言うのです。断りましたよ」
桜井市長はその後も1500人ほどの市民をバスで送り出しながら、津波での避難民、20キロ圏からの原発避難民の世話に奔走してきた。
今では、市長の説得でコンビニも一部戻ってきて住民の半分ほどは、これまでのように落ち着いて生活を始めている。
政府から緊急時避難地域として指定されているが、市長さんは腹が据わっている。
「私がここを出て行ったら、この町はもう終わりです」
もともと酪農家でその夜は一杯飲みながら、農業談義で話が弾んだ。

翌朝、飯館村に向かった。
ピーピーと線量計が鳴り出す。峠を越えると静かになる。かなりまだら模様で放射能の強弱がはっきりしている。
さすがに飯館村は日本100選の村に選ばれただけに自然に恵まれた素晴らしい山間の村だ。
村役場には、菅野典雄村長、議長、村会議員さんが揃って待っていた。
皆思いつめた表情をしている。
「ここから一ヶ月以内に、出て行けとはあまりにもむごい」
「同じ飯館村でも場所によって線量が低いところもある。ここの役場の中は0.6マイクロシーベルトぐらいだから大丈夫ではないか」
「何とか村の外側、郡山などに住んで牛飼いなどの農作業も通ってきてできないだろうか」
それぞれが訴え始めた。
もっともである。
福島原発事故は人災である。東京電力はすべての損害の賠償を負う責任がある。
政府もこれまで原発を推進してきた責任がある。
政府が住民の健康を心配して計画的に避難させるなら、それなりの補償を示した上でケースごとに、何処にどのように移り住むか相談に応じなければならない。
これらの計画避難地域には、少なくとも総務省の政務三役の1人、政務官でも常駐させるべきではないか。
私はそう思った。

村役場を辞して、飯館牛の繁殖農家を案内していただいた。
夫婦で40頭ほどの牛の世話をしていた。
2日前に生まれたばかりの子牛のつぶらな瞳が可愛い。これからどうなるのかと思うと胸が痛む。
線量計の音が激しく鳴る。そっと止める。
何処からともなく、ヒバリの鳴き声が聞こえてくる。
のどかな田舎なのに。

帰路。
三春町の福聚寺を訪ねた。
偶然に、玄関先で芥川賞をいただいた作家でもある玄侑宗久和尚にお逢いすることができた。
NHKの番組でも福島原発について語っていたのでお逢いできて嬉しかった。
玄侑和尚は今回、菅総理から震災復興会議の委員にも選ばれている。
自然と福島原発の話になった。
「・・・・・五百旗頭座長の個人としての見解とは言え、復興税の話はいただけません。
何か仕組まれた気がして私は反対しました」
さすがに、はっきりと意見を述べられる。

福聚寺には裏庭に高名な瀧桜がある。
これから咲き始めるところで、まだ薄い赤味の蕾が真っ青な空に映えていた。
福島にも春は来ているのに。

 


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