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2008年5月2日(金曜日)

ガソリン再値上げは残念でならない。

「ガソリンがいったん下がったら、自民党もいくらなんでも国民の意向を無視して再値上げできないでしょう」
「山田君、そんな甘いもんじゃない。道路特別会計は、7兆円ものお金を国会の審議も採決もなしに、官僚と自民党の道路族がどのようにでも勝手に使える金だ。
土建会社を通じて自民党代議士に政治献金として戻ってくる、大事な資金源だよ。
それにヤクザも絡んだりしたブラックボックスだ。
見ていてごらん。山口選挙区で負けようが、なりふり構わず3分の2の再議決してくるよ」
小沢一郎は言い切った。 
その通りになった。
残念だ。
このところ、バターもパンもあらゆるものが8%から10%あがっている。
ことに壱岐対馬、五島などは、ただでさえ諸物価が本土より5%は高い。
地方にとっては、ガソリンの価格は生活そのものに大変な影響を与えることになる。
すでに壱岐対馬、五島ではガソリン価格が200円を越えたと聞いている。
離島では、ガソリンは通勤に買い物、子供を保育園学校に送るにしてもすべてに必要であり、生活そのものである。
それに、高齢者が病院に通うとしても、バス代だけで片道1500円から2000円はかかる。
バスの便が1日2便か3便となれば、どうしても車に頼らざるを得ない。
離島にとって、ガソリンが1リットル200円を超えることは「死活」問題だといって言い過ぎではない。
胸が痛む。
参議院で多数となった私達にとってガソリンを下げる好機到来、何とか元に戻すことができた。
ところが31日、さらにもう10年間、暫定税率を続ける2兆6000億円の増税法案が衆議院の3分の2以上の多数決による、特例措置で通ってしまった。
なんとしても阻止したい。
身体を張っても阻止したい。
小泉総理時代の郵政民営化の解散、総選挙で小泉チルドレンが80人も誕生して、衆議院は与党の圧倒的多数。議長を取り囲んでの物理的抵抗も虚しい。
身体を張ってでも、必死の思いの抵抗もそこまでだった。
「何とか下げることができたのに・・・」
無念な思いがこみ上げてくる。


2008年4月25日(金曜日)

ALS患者にとっての後期高齢者医療保険制度は

「呼吸器を付けたら、家族の方は一晩中眠れませんよ」
「胃に穴を開けて栄養を補給するとしたら、家族の負担は大変ですよ、ただ生きているだけで、家族は家も屋敷もなくすことになりますよ」
医師から、そういわれるとALSの患者の家族は迷ってしまう。
「そのときから家族間の戦いがはじまるのです・・・・・」
4月から施行された後期高齢者医療保険制度は、医師に「終末期相談支援料」を診療報酬として支払うことになっている。
「終末期相談支援料」とはいかなるものか、ALS患者の会の皆さんから貴重な意見を聞くことができた。
会長の高橋操さんは23年間闘病生活を送っている。手足はおろか口の筋肉も動かず、目の動きだけで私たちに語りかける。
付き添いの方が早口で「カキクケコ、サシスセソ・・・・・」と高橋さんに語りかけて、
私たちの方に向きなおり、通訳してくれる。
「ALS患者になると生きていける県と生きていけない県があるのです」
「どういうことですか」
「先ほどのように、医師から言われると、家族としては呼吸器をはずすしかなくなるのです」
「山田先生、今回の終末期相談支援料が医師に支払いされるのは、まさに厚生労働省が、組織的に仕組んだものです・・・・」
なるほどと思った。
ALSといえば徳州会病院の理事長徳田虎雄先生もそうなのだが、先生は呼吸器をつけたまま、ベッドに寝たままで、毎朝全国の病院、ブルガリアのソフィア病院の来院患者、入院数など必ず目を通して細かい指示を与えている。
寝たきりのままで次々に病院を新設している。
考えさせられる。
今回の高齢者医療保険制度は75歳以上の高齢者1300万人をひとくくりにして、それぞれに平均6000円ほどの医療保険を新たに負担させる。それだけではない。
月に3万円か4万円しか年金をもらっていないお年寄りからも年金の天引きが始まっている。
今年は「選択制」にしたものの、来年総選挙が終わったら、それぞれの人が「かかりつけ医」を決めなければならない。
これからは骨折しても、病気の場合は必ず先ず「かかりつけ医」に行って紹介を受けなければ病院にかかれなくなる。
それだけではない。
通院治療は注射と薬代を除いて一人6000円までで打ち切られる。
たとえば糖尿病患者でインスリンの自己注射している人は、医師の管理指導料が6000円を超えるので、医師がボランティアでなければできなくなる。
数えれば、きりがなく、まさに「姥捨て山」の制度だといえる。
情けない。 


2008年4月23日(水曜日)

なんと障害者3人で会社を設立、「介護」事業を始める

素晴らしい。私は久しぶりに感動した。
大村市の福重、前面に海が広がる小高い丘に真新しいアパート風の建物が立っている。
障害者の林田慎吾君3人が、株式会社仁田を設立して、共同で出資して銀行からも借り入れて、自分たちの生活の場と自立するための仕事場を立ち上げたのだ。
林田君は仲間の中でも、リーダー格で、車椅子に乗っていなければ、ラクビ―選手のような快活な青年だ。聞くと20歳の頃に脊髄に腫瘍ができて、いわゆる脊髄損傷だろうか、車椅子で生活しながら、これまでも介護施設で働いてきたと言う。
「障害者だからといった差別は困ります。我々は皆と同じように何でもやれます」
と胸を張って、にこにこしている。
私は、それでもつい「障害者年金はどれくらいもらっていますか」と聞いたら
毅然として「私は働いていますから、障害者年金はもらっていません」と答えられた。
恐れ入った。
もう一人の若い彼もやはり車椅子だが、生まれたときからの障害者で、幼いときからゲームが好きだったそうだが、今ではパソコンのプログラマーの仕事をしていると言う。
一見きゃしゃな感じだが、眼差しは、強く自信に満ちている。
3人目の若い彼も生まれつきの黒班病で、横でにこにこしながら話を聞いている。
見るからに優しそうな方で、これまでも介護の仕事を続けてきたと語る。
「立ち上げた会社で、仕事は何をするのですか」
「介護サービスを提供する、訪問介護を頑張ります」
私は感動した。
私は先日も衆議院の厚生労働委員会で、民主党から提出している「介護人材確保法」の審議で、激しく「介護の現場の崩壊」を訴えたが、このような障害を持つ彼らが、自立して「介護」を立ち上げたことは有難い。
頑張れ。他にも応援してくださっている方々がいらっしゃると聞いたが、是非私も応援したい。


2008年4月11日(金曜日)

病気腎移植で有名な万波医師にメタボを注意される

「貴方は脳卒中で明日倒れてもおかしくないですよ」
万波誠医師に厳しく言われた。万波医師といえば宇和島病院で病気腎移植をして世界的に有名になったお医者さんだ。
かねてから徳州会病院の徳田虎雄先生から万波先生の話は聞いていた。大変変わった人で、外科手術の中でも腎臓移植の手術では、類まれな技能を持つ人で、既に700例から移植手術をしているとお聞きしていた。
私も6年前に東京女子医大で腎移植の手術を受けただけに、どんな方だろうと興味があった。
テレビではお目にかかっていたが、私の部屋で初めてお会いした。
目がきれいな人で、なんとも可愛らしい瞳をしている。が私の最初の印象だった。
しばらく私の他愛ない話を聞いていたが、そのうちにボツボツとした語り口で、話し始めたが、その最初の話が、私の健康に対する危惧だった。
「太りすぎですよ、甘いものを絶対食べてはいけません、既に脳も心臓も細かい血管が損傷していますよ・・・・」と脅かされる。
語り始めると力強い、引き込まれそうなカリスマ性がある。
それこそ医術一筋に酒もタバコもゴルフもやらず66歳まで頑張ってきた人だ。本人はそんな話はしなかったが、今でも愛犬を連れて裏山を駆け上るそうだが、途中で犬がへたばっても、自分だけが登りきると言うから凄い。7,8時間に及ぶ腎移植の手術に耐えるように身体をひたすら鍛えていると言う。
聞けば、患者たちの万波先生に接する態度は「信者」に近いそうである。絶大な信頼を得ていることもうなづけてくる。
自らの仕事を果たすため、使命を達するために、食事から最大限、ぎりぎりまで自分の身体を大切にして鍛えぬく姿勢には恐れ入った。
私も東京女子医大の淵の上先生から、絶えず、メタボ、生活習慣病について厳しく注意されているが、「これくらいはいいだろう」とついつい自分に甘えてしまう。
反省。
翌日、万波先生から『釜池方式、糖質ゼロの食事術』の本が届けられた。
今どこまでできるか、ひそかに始めている。
今年から政府は鳴り物入りで「メタボ」対策を予算化した。腹回りを測るだけで、糖尿病、高血圧症などにどれだけ効果があるのか。「介護予防予算」のように、無駄なものに終わるのは目に見えている。けしからんことだ。


2008年3月25日(火曜日)

全国から離島の有志が大集合、ガソリン減免への行動を開始

「離島のガソリン税、軽減撤廃を」「離島のガソリン・・・・」シュプレヒコールを繰り返しながら。垂れ幕をもって、それぞれの離島「対馬162円」「福江島182円」「佐渡島174円」「神津島225円」「礼文島189円」「小豆島164円」のプラッカードを掲げて永田町総理官邸の周りを練り歩いた。
全国の離島大集合。
日本に有人の離島だけで315ある。私も離島で生まれ育って、高校も離島で学び、今も五島、壱岐、対馬を選挙区にしている。
中選挙区時代、佐世保でトップ当選したが、小選挙区になって離島部を選んだ。
離島、島は私にとって、海も、山も人情、空気すらも、なんともいえないいいものを感じる。
ところが悲しいことに、離島は年々さびれてきた。
廃屋が連なって、お年寄りが細々と暮らしている離島になりつつある。
ヨーロッパの離島は、1995年当時から、公共事業だけに頼らず、消費税、ガソリン税を減免して、今では見違えるように活気に溢れている。
それを実現したい。
8年前に雑誌『島へ。』を創刊して、「ヨーロッパの島は何故住みいいか」の特集を組んで今日まで頑張ってきた。
ことにガソリンは離島にとって生活そのものだ。都会のように地下鉄、電車も無い。通勤も通学も、買い物に、保育園に子供を連れて行くにも車で2,30分はかかる。
お年寄りが病院に行くにしても、バスで往復3000円はかかる。
そのガソリンが小笠原では1リットル273円、消費税だけで14円も払うことになる。
こんな理不尽な格差は許されない。
私は再三この問題を取り上げては、質疑して、2年前には民主党から「離島における揮発税の減免に関する法律」を提出したが、郵政解散で廃案になってしまった。
今回うなぎのぼりの原油高騰に、これ以上待てない。
壱岐、対馬、五島だけでも5万人の署名が集まった。
そして3月25日、全国の離島の有志が、高い旅費を自分で負担して東京に大集合、各党に離島のガソリン税減免の要請をした。
自民党は離島振興委員会宮地和明委員長、公明党は離島振興対策PT山本博司事務局長、   共産党は穀田恵二国会対策委員長、社民党は渕上貞雄副党首と阿部知子政審会長、国民新党は亀井久興幹事長に、それぞれあっていただいた。
民主党は小沢一郎代表が、離島有志の一人一人から丁寧に話を聞いて、それぞれに握手して写真も撮っていただいた。
2008年3月25日の東京行動は、まさに豊かな誇りある離島への、大切な第一歩が始まった。
感謝。


離島のガソリン価格表/レギュラー1リットルあたり(2008年3月19日調査)


順位 島(都道府県) 価格
1 小笠原母島  (東京都) 273円
2 小笠原父島  (東京都) 252円
3 神津島    (東京都) 225円
4 式根島    (東京都) 220円
5 新島     (東京都) 210円
6 与論島    (鹿児島県) 194円
7 礼文島    (北海道) 189円
7 利尻島    (北海道)  189円
9 八丈島    (東京都) 188円
9 青ヶ島    (東京都) 188円
11 奥尻島    (北海道) 187円
11 三宅島    (東京都) 187円
11 伊豆大島   (東京都) 187円
14 西表島    (沖縄県) 186円
15 対馬島    (長崎県) 185円
15 中通島    (長崎県) 185円
17 奄美大島   (鹿児島県) 183円
18 福江島    (長崎県) 182円
19 屋久島    (鹿児島県) 181円
20 壱岐島    (長崎県) 175円
20 与那国島   (沖縄県) 175円
22 佐渡島    (新潟県) 174円
23 種子島    (鹿児島県) 169円
23 波照間島   (沖縄県) 169円
25 下甑島    (鹿児島県) 168円
26 宮古島    (沖縄県) 165円
27 小豆島    (香川県) 164円
27 隠岐島    (島根県) 164円
27 南大東島   (沖縄県) 164円
30 石垣島    (沖縄県) 162円
   *参考 東京 148円


 


2008年3月22日(土曜日)

道路よりもまずは生活、命が大事

どうなるのだろう。政治は動き出した。日銀総裁の空白、暫定税率の廃止、ガソリンが消費税込みで26円下がる。現実味を帯びてきた。
昨年11月「暫定税率廃止で、ガソリン26円下げを」のポスターを張り出して署名運動を始めたとき、皆に「そんなことができるのですか」と言われた。
わたしの秘書からも「大丈夫ですか」と言われた。
私も「いや、何としても実現したい」と返すしかなかった。
今だから言えることだが、その頃はまだ、民主党内でも私の「暫定税率廃止論」の主張は少数派だった。
しかし、離島のガソリンはうなぎのぼりに上がって170円を超えていた。今では五島で186円する。道路より生活、3月31日で暫定が35年続いて期限切れを迎える。参議院で多数となった我々は、その気になれば廃止できるではないか。
そう考えた私は「暫定税率廃止で、ガソリンを26円下げ」のポスターを持って、小沢代表の部屋で直談判した。
「代表の部屋に、このポスターをはっておきますよ」と言ったら
「ポスターは困る・・・」と言いながら
「道路特別会計に手を突っ込むことは、本当は命がけなんだよ、長い間の自民党道路族の利権の最たるもので・・・・・」と語ってくれた。
それからが大変だった。民主党は決意した。道路よりもまずは生活、命が大事。
そして、今週その真価が問われる。


2008年3月15日(土曜日)

新刊「中国に食で潰される日本の行く末」が書店に並ぶことができました

新本「中国に食で潰される日本の行く末」が、昨日から本屋さんに並んでいる。
初版1万部と言う異例の印刷部数で、なんとも嬉しい。
装丁も有名なデザイナーによるものとかで十分に重みがある。一通り目を通したが、大急ぎで書き上げて、緊急出版なので、校正もこれまでのようにはできなかったが、その割にはまとまっている。
意地でも、ネクスト厚生労働大臣の仕事はキチンとこなしながら、夜中に目を皿のようにしてパソコンを叩きながら、書き上げた。


今になると、大変ではあったが、新本を手にして「よかった」と実感する。
中国の餃子事件、食の安全を切り口に、このところ日本の抱える構造的な歪み、「貧困大国アメリカ」ではないが、既にそうなりつつある日本の現状を書き上げたつもりだ。
そして、私なりに具体的な打開策を、考えて、考えてまとめてみた。
是非、読んで、感想をいただきたい。
何せ、出版社、編集者の尾嶋四郎さんから、先に立派な表紙作られて、それを見せられたとき、本を書く決意した。まー、それからが大変だった。
私は、昔から怠け者のグータラなので、切羽詰らないとなかなか仕事に取り掛からない。
今度も徹夜仕事のあとの、けだるい疲れと、なんともいえない達成感に浸っている。
影でデーター集めなど手伝ってくれた皆さんに、改めて感謝。


2008年3月7日(金曜日)

大村市だけで「孤独死(変死)」が既に年間50人も

ショックだった。
私の住んでいるところから1キロも離れていない大村市内で、古くから内科を開業している原哲弥医師(73歳)の話は、私にとって衝撃だった。
「山田さん、30年以上大村警察署の警察医をしてきました。この大村でお年寄りの「孤独死」が年々増えてきて、もう50人になりました。今年はさらに増えて60人を越えるでしょう」と聴診器を置いて、淡々と語り始めた。
「私は警察医だから、出かけて行き、遺体をさわって死体検案書になくなった原因を書かなければならないのです。行くと冷蔵庫も無いような部屋に住んでいるのですよ。
身体も、やっと動くぐらいだったんでしょう、足の踏み入れ場も無いくらい散らばって、栄養剤のドリンクが2,3本転がっています。おそらく1週間ぐらい水だけ飲んでいたのではないでしょうか」
原医師は「死体検案書」を取り出して鉛筆で「ここに死因をかくのです」と「直接死因」の欄を指し示してくれた。
「最後は心臓発作だったのかよくわからないことが多いので、内因死としか書かざるをえないのです」
そして「個人情報だから、コピーはできませんが」と言いながら、実物の「変死覚書」を見せていただいた。
「この方は息子さんが東京で働いていたので、生活保護が受けられなかったのでしょう。孤独死の方々は、本当なら病院で最後の手当てを受けなければならなかったでしょうに。
国民健康保険も払えずに、医療もうけられなかったのでしょう」
語り終えると、原医師は静かに目を瞑った。
「・・・・・・・・・・・・・」
人口9万人の大村市、田舎町で、年間50人もこのように「孤独死」がいるとしたら、全国では1万人をこえているのでは・・・・・ないだろうか。
厚生労働省を呼んで早速調べた。
全国で、国民健康保険を払えてない世帯は470万人を越えるという、家族は1世帯平均2人強としても、1000万人を越えることになる。
さらに、今年の4月から、後期高齢者医療制度の施行(2年前我々民主党は身体を張って阻止したが、自民党はろくに審議もしないままに強行採決)で、年金生活者のわずかな年金、月1万50000円もらいっている人からも、国民健康保険料を天引きするという。
月に2、3万円の年金で、それこそ食うや食わずの生活をしている人からも、国民健康保険料を天引きする――これでは一気に「孤独死」が増加することになるのでは。
もう残された時間は無い。
私は一人、焦ってくる。
なんとしても、先月4野党で共同提出した「後期高齢者医療制度廃止法案」の国会での早期の審議を求める。
与党が審議に応じてくれないことが予測されるので、何とかして国民世論を盛り上げねばならない。
米国の「シッコ」の世界は日本で現実のものになっている。


2008年2月29日(金曜日)

7冊目の本「中国に『食』で潰される日本の行く末」を3月12日に緊急出版することに

海風舎のスタッフと雑誌「島へ。」の2月号の編集会議を議員会館の私の部屋でやっていたら、突然青崩堂(出版社)の尾嶋さんから「中国の餃子事件から、食の安全について本を書いてくれませんか」と頼まれた。
「今は厚生労働の責任者で、忙しくてそのだんじゃないよ」と断ったものの、熱心に勧められる。
このところ「週間新潮」「女性自身」などに、いろいろコメントを求められていたが、宝島社から「アメリカに潰される日本の食」を2年前に出版して以来、しばらくまとまったものは書いていない。
「このさい、言いたいことが一杯あるので、やってみるか」とつい引き受けてしまった。
それからが大変だった。
パソコンと必死ににらめっこ。緊急出版とあって徹夜の連続、昨晩でようやく原稿も印刷所に入れることができたが、すっかりブログをさぼってしまった。
これまでにも、中国食品のことはずいぶんと訴えてきた。
むしろ私が書きたかったのは、サブプライムローンの破綻から、世界の金融資本が原油に向かい、ガソリン、軽油、重油の高騰で農業も漁業も行き詰まってしまったが、その金融資本が今度は穀物をターゲットにし始めたことだ。
穀物のシカゴ相場が06年1月から08年1月までに、なんと2,3倍も高騰した。
実需の倍を超えると言う。
先進国の中でも、日本だけは食料をテレビや自動車を海外に売るために、安い食物を中国など海外に依存してきたが、これからはそうはいかない。
パン、うどんなどの物価の急激な上昇が、消費者を直撃することになる。
・・・・・・・・農業、漁業はもっと悲惨だ。
新しい本の中で、開拓地に一人で最後まで残って頑張った、そして一人でひっそりと亡くなった蜜柑農家、古崎正剛さんの詩を紹介した。
私自身この詩に初めて接したとき涙が出た。


実によく、今の農家のやりきれない気持ちが滲み出ている。


野の詩
草刈り機でわが子を死なせた記事の有り
この母の思いいかばかりしか


蜜柑不振苦に自殺の小さき記事
残されし妻子よ いかに生きるか


人ごとと思われざりき蜜柑不振に
自殺の人は同業同い年


回生の手段となさむ屋根架けの
ネーブル安きにビニール引き裂く


何事も無きかのごとく淡々と
営農指導員は安値市況説く


病気で亡くなる前の最後の詩も、なんとも言えない開拓農民の魂が込められている。


   山
こんな山奥です
・・・そりゃあ寂しい
でも
私には夢があります
戦傷で足の悪い父
鍬を手にしたことのなかった
病弱な母
この両親が切り開いた拓土です
こんな山奥でも
『こんな楽しい生活がある』
ぜひともそんな風にしてみたいんです
出来るかどうかは判りません
でも
夢を見なければ
生きて行けない山奥です
では、また・・・・・


2008年2月8日(金曜日)

『貧困大国アメリカ』を読んで、再び日本のこれからを案じる

天気予報は雪、早朝、佐世保の港から上五島、有川港を目指して20人乗りほどの小さな旅客船で渡る。波高3メートルの大時化の海は揺れに揺れた。
引き続き「シッコ」の上映会を新上五島町でも催す。冷たい霙交じりの雨の中、それでも120人ほどの観客が来てくれた。
「先生、天国と地獄を見た思いです・・・」映画の後、ホールから出てきた若い女性が、興奮した趣で、私に語りかけてくれた。よかった。
アメリカの医療の現場が既に、お金が無ければ医療が受けられないこと、入院代を払えない患者を「姥捨て」を始めていること、カナダ、フランスなど、蓄えが無くても、老後安心して医療介護を受けられることを指して言ってくれたのだろうか。
私は岩波の新書『貧困大国アメリカ』を読んで、再び愕然とした。
学生時代から、合計で平均1万4000ドルの学資ローンを負わせるという借金漬けにして、隷属的な関係の下に、死ぬまで働き続けさせられる。
ヒラリークリントンが最近、公約として「学生のローンの金利を下げる」と言い始めたのも借金漬けのアメリカを象徴している。
サブプライムローンとて同じ、貧困層に所得証明もとらずに融資し、最初の2〜3年は安い金利で家を新築させ、そのあと高くなって払えなくなるとさらにお金を貸す。右肩上がりで、かつての日本のように土地と家の価格が上昇し続けているうちはいいが、いずれはじけることはわかっていたマネーゲームである。
考えれば、意図的に図られたバブルであって、そこには大儲けして、売り抜けた資本家たちと、家をとられた貧困層との明暗が浮き彫りになってくる。
怖いのは、徴兵制度をなくしたアメリカが兵士を募るために、借金漬けになった人達をリストアップして、借金を棒引きにするなどと入隊を組織的に勧めていることだ。
そのほとんどの人がイラク戦争に駆り出されていると言う。
著者、堤未果さんの『貧困大国アメリカ』はこれからの日本の行く末を案じさせる。
是非、一読してほしい。
その夜、海のそばの教会をかたどった瀟洒な「民宿」に泊まった。
一晩中、大陸おろしのすざましい寒風は「ヒューヒュー」と叫び声をあげ、ときおり、たけり狂った五島灘の波頭は千切れて、波ごと岩に打ちつけられているのだろうか。ズドーンと腹にこたえる唸りを発していた。


2008年1月31日(木曜日)

夜半、「生きているみかん」食べながら、中国製餃子に悲憤慷慨する

はっと目が覚めた。汗をびっしょりとかいている。妙な夢を見た。
髭もじゃの侍と日本刀で激しく切りあっている。倒されて、上からとどめの一太刀を浴びようとしたとき、下から男の股間に夢中で刀らしいものを突き出し、相手が後ろ向きに血をはいて倒れる。助かった。縁から降りてそこにあった汚い水を男の口元に流しいれるとごくんと美味そうに飲んだところで目が覚めた。
厠にたちながら、「あー嫌だなー、いつも、いつも果てしない戦いをつづけている・・・・」と、昼間、国会での「暫定税率つなぎ法案」の顛末を思いうかべる。
ベッドに戻って温州みかんを一つ手にした。
私は、「がさがさみかん」と称しているが、毎年佐世保から送ってもらって、大事にいただいている。法律事務所の事務員さんのお母さんが作っていたみかんだが、亡くなって、7,8年農薬も散布されないまま、ほっておかれているが、毎年実をつけるので、それをお願いして送ってもらっている。
見かけは、形も不揃いで、表面も固くがさがさしている。箱に入れたまま、そのまま2,3ヶ月たつが、一個としてぶよぶよして腐ったりするものは無い。
皮はかんかんに固くなって、つめを入れてようやく、少しずつむいていくが、表皮は0,5ミリぐらいに薄く、驚くことに中ははちきれるように水みずしい。
美味い。すっぱみみもほどほどあるが、強い甘味の濃厚な味のみかんだ。
自然の恵みに溢れたこれこそ「生きている」みかんである。
食べながら満ち足りた気分になる。
ところで、寝る前にテレビで中国から輸入された餃子を主婦が食べて農薬中毒になった報道がなされていたが、相変わらず中国では、野菜など強い農薬メタミドホスなど日本では考えられない有機リン系の農薬が使われている。
いったん加熱されたとされる餃子など加工食品にも、そのまま毒性が残っていたとすれば尋常ではない。
私は輸入食品の検疫現場、横浜の埠頭倉庫に何度となく行ったが、倉庫の中は「味噌汁の具」「東京饅頭」など日本語で書かれた輸入食品のダンボールが山積みされていて、これらがたった今、中国などから輸入されてきたとは思われない。
それらのうち、検疫の対象になるのは、輸入量の5%ではなく、輸入の届けがなされた回数の5%に過ぎないので、宝くじに当たるようなものである。
しかも、加工食品については、通関時に、材料の農薬検査はなされていない。
今回の事態は、当然に起こるべくして起こったと言える。
私は30万トンも輸入されている加工食品に、少なくとも原料原産国の表示くらいはすべきであると、国会に2回も法案を提出してきた。
食の安全のためには、消費者の選択のために大切なことである。が、残念ながらいずれも自民党多数で否決されてきた。
政府、与党は、国民、消費者の方を向いているのではなく、大商社、大手のスーパーなど業者の方を向いているのである。
官僚たちも定年後はそれらの業界に天下りするのが慣例となっている。
私は残り少なくなった大切な「生きているみかん」を食べながら、つい興奮してきて眠れなくなった。


2008年1月25日(金曜日)

霞ヶ関の埋蔵金はどれほどあるのか、「シッコ」の上映会で語る

昨年9月に、私は国会、憲政記念会館で、マイケルムーア監督の「シッコ」の映画上映会を開いて小沢一郎代表、菅直人代表代行、鳩山幹事長など民主党議員さんなど700人に見ていただいたが、この20日、思い切って、対馬、厳原町で「シッコ」の上映会を開いた。
「難しい映画を島の人にどれだけ見ていただけるか・・・・・・・」私にとって冒険だったが、過疎地の限界集落、高齢者だけが取り残されようとしている離島でこそ、観てほしいと思ったのだ。
当日、日本列島寒波に覆われ、対馬も同様に、大陸からの霙交じりの寒風にさらされた。
一人、二人と集まり始め、最終的には会場には400人を超える人が集まってくれた。
意外に若い人が多かった。
よかった。
受付で、私が寒そうにしていたからだろうか。
珍しい人が夫婦連れで、幼い子供2人を抱きながら、私を訪ねてくれた。両手に暖かいコーヒーのカップとパンの袋を持っている。
「飲んでください」と上対馬、佐須奈の診療所で20年ほど、離島医療に献身的に取り組んでいる古い友人の豊田医師だ。
顔の半分は黒い髭に覆われているが、いつものように、こぼれるような笑みを満面に浮かべながら、
「山田さん、このような映画会をありがとう。実は聞きたいことがあるんです」と切り出した。
「医療の現場は崩壊しています・・・・・、このままではやっていけません。政府には本当にお金が無いのでしょうか」
「いいことを尋ねてくれました。実はガソリンの暫定税率でもそうですが、政府与党は財源が無い、地方はさらに大変なことになるといっていますが、実は国にはお金はあるんです。騙されないでください」
私は1月の10日付の「東京新聞」で見つけた「特別会計」と剰余金、積立金いわゆる霞ヶ関の「埋蔵金」の話をした。
国会で我々が審議する一般予算は80兆円しかありません。それに700兆円の借金があったら誰でも心配します。ところが最近明らかになりましたが、国の予算には別途「特別会計」が31もあって(その中の1つがガソリン税の道路特定財源)、なんと2006年度は歳入だけで500兆円を超えたことが明らかになりました。歳出は450兆円弱なので、合計50兆円が剰余金となったのです。
2005年度も特別会計では剰余金が50兆円出て、そのうちの8割40兆円が「不用額」として繰り越されたのです。
私達民主党がかねてから主張していたように、「一般会計」と官僚たちの「特別会計」を一つにして「予算の組み替え」をやればいくらでも医療介護、福祉にお金を回せます。
豊田医師は大きく目を開いて肯いた。
映画が始まるにつれて会場は、次第に熱気に包まれてきた。
日本も、どこに住んでいても、誰しもが老後安心して医療介護を受けられる制度を是非目指さなければならない。
五島でも壱岐でも「シッコ」の上映会を開く予定。


2008年1月18日(金曜日)

阪神大震災から13年、千代田君は立派に成長

久しぶりに植松教会の日曜日のミサを授かることができた。今日は有名な洗礼者ヨハネがイエスにヨルダン川で洗礼を授ける一節である。
神父様が面白い話をなさった。
「17日に阪神大震災から13年を過ぎました。当時、五島福江出身の千代田さと子さんが小学校6年生とまだ幼い子供2人、3人を残して、家の下敷きで亡くなりました。・・・・」
そうだった。私にしてみれば千代田さんは私の生家とそうはなれてないので、よく覚えている。
神父様は説教台の上にスルスルとスクリーンを延ばして、ビデオでその後の子供たちの成長を見せて下さった。
長男の雄介君は、当初は幼い弟たちに「お母さんの墓参りに来ただけだから、すぐ宝塚に帰る」などと強がっていた。
突然、両親をなくした幼い子供達にとって、島で農業を営む年老いた祖父、祖母との新しい生活は、大変だったに違いない。島での暮らしをよく知っている私にすれば、容易に想像できる。
千代田さんご夫婦も、毎日が泣くような思いで、13年間を育てられたに違いない。
雄介君も立派に成長して、私の母校、五島高校を卒業するときには「総代」に選ばれている。
卒業時の大学進学か就職するかを決める、学校での進路面接のとき、彼は「私は就職して、弟達を大学に進学させます」ときっぱりと答えたと言う。
偉い。私は長い間忘れていた大切なものを思い出したような満ち足りた気持ちになった。
神父様は
「私のためにではなく、他人のために、何ができるのかが大事ではないでしょうか」と結ばれた。
雄介君は現在長崎県庁、五島支所に勤務しているとのこと。
今日の福音は、洗礼者ヨハネがイエスをさして言う言葉「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」・・・・・・・。


2008年1月12日(土曜日)

正月に「上杉鷹山」(ビデオ)を見て涙を流す

日本が世界で2番目に貧困層が多くなり、年に餓死者が57人も出ていることに


思いを深くする


 


正月、久しぶりに「上杉鷹山」のビデオをゆっくりと見ることができた。
何故かぼろぼろと涙が溢れて止まらなかった。
14、5年前になろうか、小説を読んだときにも涙が出たのを思い出す。
ことに鷹山が初めて米沢藩に少ないお供ぞろいでお国入りするとき、
最初の宿場が人一人もいないまでに盗賊らにあらされて泊まるところもなかった。
深い雪の中で焚き火に当たりながら、一夜を過ごすシーンがある。
種火を側近の若い侍に渡しながら藩の立て直しを誓って
「この種火を一人一人に移していこう」と語る。


既に15年になる。
私も自民党員だったが、小沢代表が「このままでは日本は駄目になる。大変なことだが、離党して新党を創り、戦いを始めよう!」語り、我々は必死の覚悟を固めた。
自然と当時の思いを重ねる。残念ながら当時の同士は一人、また一人と自民党に戻り、いつの間にか大半の仲間は戻ってしまった。


今はどうだろうか。私の郷里の五島、壱岐・対馬など離島は、この4,5年でさらに荒れ果て、廃屋が軒を連ね、人一人いない集落が続出しつつある。
いつの間にか、日本自体も先進17カ国のうち貧困層の人口比は世界で2番目になり、昨年1年間に餓死した人がなんと57人に及ぶ。上杉鷹山の江戸時代と今の日本とどこが違うのだろうか。それでいて日本から申し出て米軍基地のグアム移転に3兆円、福田総理は低開発国の温暖化対策に我々の税金をさらに1兆円援助すると言う。
上杉鷹山時代の米沢藩も大藩としての対面ばかり考えていた。
若い高鍋藩から養子に来た鷹山の守旧派との戦いは、今から見ても実に新鮮で深い思想に裏打ちされていた。
鷹山は「私を始めとして侍は百姓の尊い年貢で食べさせてもらっている・・・・・」と語り始める。


なんと尊い言葉だろう。年金をごまかして、さらにシラを切る政治家と官僚たちにこの言葉の重みをどうかしっかりと考えてほしい。
さらに「領民は藩主のためにあるのではなく、藩主は領民のためにある・・・」の鷹山の残した「家訓」は、なんと近代の「人権思想」が、西洋世界に先駆けて日本にこそ生じていた事実に改めて驚かされる。
鷹山の戦いは、淡々と「理」を説いて、自らが先駆けて実行し、すべての人に誠実にあたった。私達の戦いもこれからである。丁寧に種火を一人一人に移していかなければならない。


2007年12月29日(土曜日)

あわただしい年末、どうなるか薬害肝炎での議員立法

上五島町の「石油備蓄記念会館」での結婚式、そこで私が祝辞を述べている最中に携帯電話が鳴った。慌てて電源を切ってスピーチが終わって着信歴を見ると新聞社からだ。
福田総理が、日曜日なのに、これから記者会見をして「薬害肝炎患者の一律救済を議員立法で解決すると言う。思わず「本当かい」と問い返した。
その後、数社からコメントを求める電話があったが、いずれにしても驚いた。
福田内閣の支持率が急落して、さすがの福田総理も官邸、厚生労働省の言いなりになっているわけには行かなくなったのでは。
それにしてもお粗末である。
私は舛添大臣ともこの問題で何度も話ししたし、官邸にも菅直人代表代行と町村官房長官に40分もかけて「和解解決」の必要性を説いていたのに。
本来、国の責任で発生した薬害肝炎である。福田総理が一律救済を言うのであれば、和解案を原告弁護団と話し合って作れば足りる話ではないか。さもなければ政府が議員立法でなく、政府提出の一律救済法案を提出すれば足りる。
それよりも訴訟もできない、カルテも残されて無い一般のC型、B型肝炎患者の救済法案、インターフエロン治療に対する医療費の助成法案こそ350万人の患者が待ち望んでいる。
先週も自民党の厚生労働委員会の大村筆頭理事と茂木委員長に
「そちらから申し込みがあって協議会を作ったのに、何で協議にすら応じない、委員会も開こうとしないのか」と強く迫ったが
「もう年末だから・・・・」などと言を左右にして話し合いに応じようとしない。
ところが、大村自民党理事から、年末も27日、連絡があった。
「与党PTで、薬害肝炎患者救済の法案をまとめたので検討してほしい」
なんたることか。
あわただしい年末は続く。


2007年12月12日(水曜日)

規制改革会議の「混合診療全面解禁」の裏に覗く妖怪

私の3男から、珍しく電話があった。
「お父さん、今病院にいるんだけど、肺にこぶし大の腫瘍があるんだって・・・・すぐ入院したら」と言われていると、今にも泣きそうな声だ。
「・・・・入院保険に入ってなかった、どうしよう」と続ける。
お金の問題ではない、癌だったらどうする、私は腹立たしくなって「すぐ入院したらいい。お父さんも、仕事を片付けて、すぐそちらに行く」と答えた。
私はとっさに息子は「組合健康保険」に加入してなかったのでないかと思ったが、そうではなかった。
当然のことながら、勤務先の組合保険には加入していたものの、今テレビ等で盛んに宣伝している「入院保険」に加入してなかったので、入院代を払えないのではと心配しての話だったらしい。
私の認識不足だった。
この4、5年医療費が次々に上がって、入院費用も食事代、光熱水道費も新たに負担が課せられ、今では健康保険に加入していても、入院一ヶ月で30万円、平均一日、1万円はかかるそうだ。
そうなったのは小泉政権の時代に、財政諮問会議、規制改革会議が、財政負担の増加で「医療費亡国」になりかねないとして、自民党政府に年に2200億円の医療費等の削減を図らせてきたからである。
その一環として、意図的に入院費、治療費(窓口負担が1割から、2割、さらに3割と)と上げられたのである。
その本当の狙いは、米国の「対日要望」で郵政民営化と同様に、アリコジャパンなど「民間医療保険」なるものを導入することにあった。
狙いは当たった。
この頃では、テレビをつければ、外資系の「民間医療保険」の宣伝ばかりだ。
おまけに税金の控除までしているので、医療保険会社には年間2500億円の税金の免除の恩典まで与えている。その金額を税金として当たり前に徴収すれば、高齢者医療保険の導入など必要なかったはずである。
75歳以上の働けないお年寄りからも、すべての人から新たに保険料を、年金から差し引いて取ることは許されない。
結局、庶民の自己負担だけが上がって、民間の入院医療保険に加入していなければ、病気にもなれない、入院もできない。
それで、私の息子は、病気の治療よりも、入院代を心配したのだった。
学生時代、私は息子に月10万円しか送金させなかったので、アルバイト、アルバイトに明け暮れしていたのはわかっていたが、貧乏性がしみ込んで自分の病気よりも支払いが心配になったものらしい。
最近「混合診療」の全面解禁を、例の「規制改革会議」が打ち出した。
保険がきかない癌などの新薬を自由診療として認めれば、保険と併用して、すぐにも治療効果を挙げられる。
さらに、国としての医療費の負担も軽くなると、あたかもいいこと尽くめの主張をしているが、本当の狙いは国民に更なる医療費の自己負担を増大させ、いよいよ外資系を含めた「民間医療保険」の市場を拡大する意図が透けて見えてくる。
騙されてはならない。
新薬の保険での承認について、日本は欧米に比べて著しく長期、かつ高価についているが、それこそ、政治が制度を改めて、早く、安く「新薬」承認すればこと足りることである。
我々は、カナダ、EU各国並みに「患者負担ゼロ」とまで行かなくても、安心して、医療介護が受けられる社会、ヨーロッパ型福祉社会を目指さなければならない。
混合診療を解禁して、これ以上の患者の自己負担を引き上げてはならない。


2007年12月7日(金曜日)

腹立たしい、霞ヶ関お役人の話

情けない。
久しぶりに厚生労働委員会で薬害肝炎の質問に立ったが、あいも変わらない霞ヶ関官僚の無責任振りには呆れかえる。
日本だけが、こんなに肝炎患者が多いのは1985年当時、薬害エイズと同様、プール製剤と言って、売血などの血液1万人分を一つの釜の中でできた血液製剤が原因である。
既に米国その他の国では止血剤としての使用が禁止され、その効果にも疑問があったフィブリノゲンを、今日の結果を予見しながら、厚生労働省はその使用を認めてきた。
2002年に厚生労働省に届けられたフィブリノゲンを投与されて、C型肝炎にかかった418名のリストもそのまま放置した。
当時すぐに患者に告知していれば、6割の人が助かった尊い命である。
今日までに追跡できた約300人のうち既に51人が亡くなっている。
舛添大臣はようやく、謝罪を表明して、大阪高裁との和解の場に立つことになった。
ところが、ここに及んでも官僚たちの抵抗はすざまじいものがある。
昨夜、遅くまで待っても、各医療機関からの報告書を持ってこない。菅民主党代表代行と我々が強く勧めて枡添大臣が設置した調査チームは、早々と「国に責任はなかった」と結論づけて解散してしまった。
それでも、国は大阪裁判の原告たちに30億円の提示をしたと言われているが、救済される人はわずかに100人ぐらいの人であるといわれている。
私が心配しているのは、当時、旧ミドリ十字の集計だけでも30万人にフィブリノゲンが投与されているのだが、当時の厚生労働省に残された各地の医師からの副作用報告書には100%感染した事例が並んでいる。
一体どれだけの人が命と健康を失ったのだろうか。
筆舌に尽くしがたい薬害エイズをはるかにしのぐ悲劇である。
これらの方々に国はすべて責任を負わなければならない。その賠償金は我々が骨身を削って支払っている税金からである。
厚生労働省のお役人たちは、誰一人責任を取ろうとしない。


参考までに、今日付けの私の委員会質問の「議事録」をネットで読んでいただきたい。またヤフーの7日国会トピックスでは、動画で議事の様子が伝えられているので、見てください。


2007年11月22日(木曜日)

昔の「たちんぼ」と、今の「派遣労働」

昔、昔40年よりも前、私が学生の頃、定まった下宿も無く、友達のところを転々と泊まり歩いていた。
まともに大学での授業なども受けていなかった頃の話だ。
新宿西口の小便横丁をうろうろしていたのだが、お金がなくなると芝浦の浦島橋のところに朝早く、6時ごろ出かけていって、いわゆる「たちんぼ」をしていた。
そこには、2,300人の仕事に溢れた連中が集まって、ちょっとした賑わいを見せていた。
手配士らしい中年の男がいて
「おい、そこの若いの、こっちだ」と声をかけられる。
「ミゼット」(当時の幌の付いた軽トラック)に数人一緒に押し込められて、波止場に着く。そのままハシケで沖の貨物船に乗せられて、港湾荷役作業、いわゆる沖中士の仕事をする。
「スクラップ」とか、新聞紙大きな束(ドラム缶ほどはある)の「巻き取り」などしていた。
頭の上を荷が絶えず行ったり来たりするので、気は許せなかったが、一日働くといいお金になった。
パチンコの景品換金場みたいなところで、その場でお金をもらったが、当時のお金で数千円、今の価値にして2万円にはなったと思う。
そこでは、一串5円の焼き鳥(後で聞いた話しでは猫の肉とか)一パイ10円の焼酎が売ってあった。
実は、私は民主党の厚生労働NC大臣として、この数年の派遣労働の実態に危惧を抱いていたが、日雇い派遣の「ワーキングプア」の深刻な現状を派遣ユニオンの関根秀一郎さんから話を伺った。
実際に「グッドウイル」での登録日雇いでの派遣業務での体験談は興味深かった。
メールでの指示の通り、早朝7時半には、弁当を買い込んで水道橋の駅に集合、そのまま倉庫に連れて行かれて、9時からびっしりと働かされる。
軽作業とのことだったが、結構な重労働だったとの事、私はなんとなく学生時代の「立ちんぼ」を思いだした。
メールでは日給6784円とされていたが、実際には交通費1000円を含めての話、そこからさらに「業務管理費」として別途200円差し引かれる。
これだけの収入では、いつ仕事があるかもしれない不安定な日雇い立場では生活できないのでは。
まだ昔の「たちんぼ」のほうが、はるかにいい給料をもらっていたのではないだろうか。
今、大手のキャノンなど大企業についても、働く人の4割は派遣労働者になってしまって、正社員の給料の6割ほどしかもらってないと言われている。
派遣会社の手数料は3割くらいだと言われている。
昔の「手配士」、「口入屋」の方がよほど良心的ではなかったろうか。
職業の斡旋は、やはり公的な「ハローワーク」でやらねばおかしい。
米国の「対日要望」の言いなりになってきた「派遣労働者」の制度は見直さなければならない。


2007年11月9日(金曜日)

晩秋の対馬路で、新たな決意をする

晩秋の対馬は山々が紅葉で彩られる。空が真っ青に雲ひとつ無く広がる。
峠を越えると、私の好きな青く、深い秋の海がきらきらと輝く。
路傍も白い野菊と黄色の大ぶりのつわぶきの花が入り混じって競い合っている。
風邪が爽やかに吹き抜けていく。
ススキもその白い豊かな穂を、そのつど風になびかせる。
対馬路はなんとも豊かだ。
久しぶりに、対馬で「やまびこ杯ゲートボール大会」を催す。
ご年配の皆さんが、それこそ真剣に一球一球に打ち込んでいるさまはいつ見ても快い。
ふと気になる。
「ここまで来るのに、ガソリン代はどれくらいかかったのだろうか」
対馬は南北に細長い島で、ここに4万人の人が住んでいる。北の端、比田勝の町から、南の中心厳原町まで80キロはある。一日に2本か3本しか通わぬバスの運賃が、片道で3330円かかる。
法務局に登記簿謄本を取りに行くとしても、一日がかりでほぼ1万円はかかることになる。
本土ではガソリンが1リットル150円を超えたと大騒ぎしているが、対馬では1リットル172円している。
もちろん、電車も無いし、バスも通っているところも幹線に限られるから、島で生活するには、軽自動車も含めて、一家に2,3台の車は必要である。
ガソリン代が都会では考えられないほどかかることになる。
私は、この離島と本土との地域格差の最たる問題となっている燃料費について、10年前から消費税、ガソリン税を軽減して再生したヨーロッパ各国の離島、マン島、コルシカ島、シシリー島のようにするべく、すべてをかけて頑張ってきた。
そのために雑誌「島へ。」を創刊、7年間同じ主張を掲げて隔月に発行を続けている。
2年前には、国会に民主党から私が提案者として「離島のガソリン税減免法案」を国会に提出した。
残念ながら、自民党の賛成を得られずに廃案になったが、我々が参議院で多数を得た現在、再び法案の提出を図りたい。


2007年11月7日(水曜日)

小沢代表の辞任撤回とさわやかな秋空

秋雨が静かに降り続く。
国会の厚生労働委員会の労働三法の審議も、何事も無かったかのように淡々と審議が続く。
民主党提出の労働契約法に自民党議員からの質問に、提案者の細川律夫議員が丁寧に答弁している。
ふと、小沢一郎代表の辞任のことを振り返る。
考えれば、私は新生党、新進党、自由党、民主党と小沢代表と一緒に政治行動をともにしてきた。
なんとなく小沢代表の心情が辞任の際の「記者会見」に、にじみ出ていたような気がする。
かつて自民党時代、金丸信先生が、まだ若かった小沢一郎に総理総裁を勧めたことがあった。
当時、引き受ければ総理になれた。ところが小沢一郎はそれを断った。
「総理になっても、今の霞ヶ関(官僚制度)のままでは、ただ総理になっただけで終わる、政権交代させなければ何も変わらない」と。
強い信念と行動の人だった。
民主党で、参議院選挙で大勝利。さらに対決姿勢を強めて、次の衆議院選挙で政権交代を実現する。
それが我々の使命だった。
ところが突然の自民党との連立構想の役員会での提案に皆が驚いた。
考えるに、ねじれ国会で一本も法案が成立できない。
テロ特措法での事態の解決のために福田総理とトップ会談、その中で小沢一郎はかねてからの信念とも言える安全保障外交の持論を展開したに違いない。
小沢一郎にとって自民党時代、「小沢調査会」のもと内閣法制局とも大激論を展開してまとめ上げた国連のもとでの集団安全保障論である。憲法第9条とも矛盾しない。
日本が、米国の属国ではないのだから、そのつど米国の言いなりに自衛隊を出すのはおかしい、恒久的な国際貢献法案を制定しておく必要がある。
ここからは私の推測であるが、福田総理はそれを丸呑みしたに違いない。
小沢一郎は驚いたに違いない。続けて農業での戸別所得補償法案の提案をしたら、それも承諾した。子供手当て法案、年金も・・・・、我々が参議院選挙でかかげた三大マニフエスト「生活第一」の政策も福田総理は了承した。
そうなれば小沢ならずとも、狂喜して「それならば、その政策実現を単なる約束だけでなく我々が政権に入って実現すれば、国民は喜んでくれる」と思うのも理解できる。
そんなときに、福田総理が小沢代表に連立を持ちかけたのではないのだろうか。
一方、小沢にとって参議院選挙大勝利の後、すぐに衆議院の選挙についての世論調査を行ったに違いないが、その結果は芳しくない。
議員も候補予定者も、参議院選挙の勝利に浮かれて、安易に勝てるものと思っているように映ったに違いない。
私も何度も離島など過疎地で選挙していると、どうしても自民党に勝てないのは「我々は予算を握っている政権与党なんだから・・・」と言った与党と野党との壁はあまりにも大きい。
解散、総選挙で我々が勝利するとしたら、いったん連立を組んで与党として、大臣、副大臣、政務官としての研鑽を積むのもひとつの選択である。
とんとんと話しが進んだかもしれない。
ところが結果は思ったようには進まなかった。
相談を受けた民主党の菅代表代行、鳩山幹事長も、あまりにも話が唐突なので、すぐに理解するところにならない。
ましてや他の役員、執行部も、今まで「対決だ、対決だ」と言ってきた代表が、突然回れ右して「連立だ」と言われても、混乱してしまう。
「殿、ご乱心」と映ったのもうなずける。
連立の話を持ち帰った小沢代表に政策協議入りすら、皆で反対した。
・・・・・・・・小沢代表としては良かれと思い、真剣にまとめ上げたものをあっさりと「拒否」された。
悔しかったに違いない。
それが翌日の「辞表」、記者会見になってしまった。
悔しさがにじんで、記者の質問に「民主党はまだ若い・・・・・政権担当力が無いと言われている」といった発言になってしまった。
私の知っている小沢一郎なる人物は、相手にあまり説明をしない、阿吽の呼吸で「わかるだろう・・・・」といったところがある。
残念ではある。
しかし、我々民主党にとっては「雨降って地固まる」、再び小沢代表の下で、我々は一致結束して次の総選挙で戦い、堂々と政権を奪取する決意ができたことは喜ばしい。
・・・・・・・・・・・
いつしか、朝からの雨がすっかり上がって、爽やかな秋空が広がってきた。


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